於ける哲学一般(キリスト教哲学)の根柢をなすのだが、之へつながってその先駆となるものが、この史学乃至世界史であった。
史学乃至歴史科学と、歴史哲学乃至哲学一般との関係は、だから極めて密接である理由がある。そしてこの点は今日でも依然として重大な意義を持っている。近代の科学的な歴史学はその経験的な事実の考証に基くという実証的な建前から、或るものは意識的に哲学的な夾雑物を斥けようとするのであるが(「本来あった通り」を記述する――L・ランケ、又バックルやテーヌの場合)、それとても夫々一個の哲学的な立脚点を想定せざるを得ない。そして大切なことには、夫々の哲学的な立場の相違によって、歴史記述の方法と従ってその成果とが、銘々全く異っていたり相反していたりせざるを得ないことであり(各種の精神史観・心理史観・「第三史観」・そして唯物史観)、そればかりでなく、時代と共に変るこの記述方法自身の変遷が極めて著しいのである(ホメロス風の詩的記述・「春秋」「通鑑」風の教育的記述・史料編纂的なもの・実証主義的なもの・「哲学的」なもの・等々*)。こういうことは自然科学の場合には、顕著な形では決して現われない事情なのである。歴史科学が哲学的世界観と如何に宿命的に結びついているかが之で判る。
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* B・クローチェ『歴史叙述の理論と歴史』(羽仁五郎訳)参照。
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歴史科学から特に区別された狭い意味に於ける社会科学に就いて云えば、この点はより一層明瞭である。近代に至るまで、経済学(政治経済学)の発達にも拘らず、社会科学の正統的な代表者は、政治学[#「政治学」に傍点]だという通念が支配していたように見える。トライチュケが、政治学の他に社会科学(実は現代の「社会学」のことだが)なるものを必要としないことを力説したのは、この点から云って興味のあることだ*。処がこの政治学なるものは、敢えて政治哲学と云うまでもなく、古典哲学以来、哲学そのものの一分科であったのである。プラトンやアリストテレスは云わば純正哲学の応用や何かとして政治学を書いたのではない。アリストテレスの『倫理学』がそれ自身原理的に哲学の一ブランチであったと同じに、そのポリティカは、哲学の原則的な一ブランチだった。
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* H. v. Treitschke, Die Gesellschaftswissenschaft, 1859.――これは社会学論の古典である。
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云うまでもなく今日のブルジョア講壇政治学は表面上殆んど何等(ブルジョア)哲学と関係がないので、それは主として十七世紀末のイギリスの政治学者達による政治・法律乃至国家の経験科学的な研究の結果であるが、併し十七世紀のイギリス政治学者の代表者であるジョン・ロックは、同時にイギリス経験論哲学の最も重大な代表者であったことを思い出さねばならぬ。――法律学や国家学も亦略々同様な対哲学関係を持っている*。社会科学全般に根本的な影響を与えた自然法[#「自然法」に傍点]は、それ自身哲学上の一つの主張に他ならなかった。之に続いて根本的な作用を全社会科学に及ぼした歴史学派の歴史主義[#「歴史主義」に傍点]も亦一つの哲学的立場に直接連絡している**。今日の市民的法理学や国家理論やが、哲学的意識を抜きにして意味を有たないことは、今更説明を必要としないだろう。
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* この点に就いては Sir F. Pollock, History of the Science of Politic の参照が便利である。
** 歴史主義に就いては Troeltsch, Historismus.――K. Mannheim, Ideologie und Utopie.――H. Freyer, Soziologie als Wirklichkeitswissenschaft(邦文解説あり)等参照。
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倫理学や道徳科学(Moral Science)が正当には社会科学の一部分(イデオロギー理論)にぞくさねばならぬということは、相当広く認められているだろう。だが之が同時に今日のアカデミーでは哲学の内に数えられていることも忘れてはならぬ。――倫理学や道徳科学や又道徳哲学そのものは今大した問題ではないが、之が近世に於て最も華々しい発達を遂げたイギリスの道徳理論家達にとっては、こうした科学乃至哲学が実は、政治学・国家学に直接連続していたものだった。そして何より大事なのは、之がブルジョア古典経済学の起源と最も緊密に結びついていたことである。A・スミスの古典経済学がフィジオクラットの経済理論の必然的発展であり、ブルジョアジーの個人的自由主義を社会的立脚点にしたことは今更云う迄もないが、一方に於て彼の富国論はアリストテレスの『ニコマコス倫理学』と『政治学』とに端を発していると共に、他方に於てはスミス自身の倫理学(著書 The Theory of Moral Sentiments)乃至哲学と根本的な連絡を持っている*。スミスの思想と理論とがD・ヒュームの哲学に負う処の多いのはスミス自身が語る通りだ。
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* スミスは分業の原理を論じて云っている、「如上幾多の利益を生ずる此分業なるものは……人性内部の一種の性癖より、頗る遅緩に且つ漸進的ながらも、然も必然的に発生し来れる結果に外ならず。……或物を他の物と取引し交換し交易するの性癖即ち是なり。……此性癖は一切の人類に共通にして、他の動物には全く之を見ざる所に属し、……例令ば吾人が毎日食事を為すを得るは、屠肉者、醸造者、又は麺麭製造者の恩恵に依るに非ず、此等の人士が各自其利益を思うが為に外ならず。吾人は此等人士の慈悲に訴えずして其自愛心[#「自愛心」に傍点](Self−love)に訴え、吾人自身の必要を告げずして此等人士の利益を告げ、以て此等の人士より其供給を受くるなり」云々(『国富論』――岩波文庫版、上巻、二四―二六頁)。
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即ちスミスによれば、社会に於ける労働生産力の根本条件をなす分業は、自愛心という人間性[#「人間性」に傍点]に、それ自身経済的な、或いは「経済人」的な、人間性に、基くというのである(丁度、道徳が同情[#「同情」に傍点]という人間性に基くように)。スミスの古典経済学の理論体系上の基柢は、だからその人間性論[#「人間性論」に傍点]にあると云わねばならぬ。処がこの人間性(Human Nature)の理論こそ、十七―十八世紀にかけてのホッブズ以来のイギリス道徳哲学・道徳学・倫理学(実はイギリス固有の代表的哲学)の共通な根本問題であった。例えばスミスの先輩D・ヒュームの A Treatise of (on) Human Nature の如き。
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最後に、一般の社会思想(ユートピア共産主義・無政府主義・所謂国家社会主義乃至ファシズム・科学的社会主義等)が、各種の社会科学と歴史的に又理論的に如何に密接な連関を持つかに就いて、説明を必要とはしないだろう。社会哲学[#「哲学」に傍点]・歴史哲学[#「哲学」に傍点]・国家哲学[#「哲学」に傍点]・法律哲学[#「哲学」に傍点]・経済哲学[#「哲学」に傍点]などは、とりも直さずこの間隙に成立するのである*。
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* H・クーノー『マルクスの歴史社会並びに国家理論』上巻(改造文庫版)を見よ。又、リャーシチェンコ『経済学説史』(平館訳)は特色がないが詳細な参考書として役立つ。又例えば加田哲二『近世社会学成立史』なども部分的に参考となる。
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社会科学乃至歴史科学は、以上大まかに見たように、自然科学の場合とは異って、哲学と極めて密接な関係を有つと云っていい。処がそれにも拘らず、この密接な関係は、ブルジョア哲学の側からもブルジョア社会科学乃至歴史科学の側からも、一向分析的に組織的に明らかにされてはいないのである。この点、今日の自然科学とブルジョア哲学との関係と、あまり相違はないと云っていい。尤もどこまでが社会乃至歴史科学で、どこからが哲学(社会哲学・歴史哲学・経済哲学・其の他)だという風に、機械的な限界を設けることは、どんな場合でも無意味で有害なことだが、そういうことと、その際科学と哲学との関係が単に曖昧に止まっていて良いということとは別だ。
社会科学乃至歴史科学に於ても、その方法論[#「方法論」に傍点]なるものが哲学として相当に発達している。処がこうしたブルジョア哲学的な方法論の何よりの一特色は、その形式的で抽象的な視界の狭隘さにあるのである。この点で典型的なものはC・メンガーの有名な書物『社会科学の方法』などだろう*。そこでこの狭隘さを脱出しようとする哲学的な企てが例えば各種の経済哲学[#「哲学」に傍点]や何かとなって現われる**。だがその経済哲学なるものに於ても、哲学と科学(経済学)との原則的なそして必然的な連関が、一向関節を与えられた形で現われないのである。そればかりではなく、根本的な疑問は、一体経済哲学なるものが経済学そのものに対して、どういう理論上の必要性を感じさせることが出来るか、ということだ。
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* C. Menger, 〔Untersuchungen u:ber die Methode der Sozialwissenschaften und Politischen Oekonomie〕(小林勇複刻版)。――歴史学派に対する論争を含む。
** 日本の大学の経済学部教授の学位論文には、経済哲学のものが少なくない。近くは石川興二『精神科学的経済学の基礎問題』、高木友三郎『生の経済哲学』、杉村広蔵『経済哲学の基本問題』等。――但し主に経済学の方法論に経済哲学の名をつけたのは左右田喜一郎・杉村広蔵・大西猪之介の諸氏のもの。こうした「方法論」的なものを除けば、経済学と経済哲学との連関は極めてルーズなものに止まる。
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自然科学の場合、自然科学そのものと哲学としてのそれの方法論とを、形式的にそして又機械的に引き離して了ったと同様に(そういう態度は一般に方法論主義[#「方法論主義」に傍点]として批難されるのだが)、社会科学(乃至歴史科学)に於ても、科学そのものからその方法論を抽き離して、之を何々哲学と名づけるならば、社会乃至歴史科学と哲学との限界は、形式的に機械的に明瞭に与えられ得ることになる。だが自然科学の場合であろうと社会科学の場合であろうと、この仕方の一般的な誤りはすでに述べた通りだ。そこで社会科学ではこの方法論的なもの以外に、社会哲学とか経済哲学とかいうものが発生するのである。そして夫が、一般に社会科学又経済学自身と密接な交渉のあるものとして、一応認容されているというのが、ブルジョア社会科学の現状なのである。――処が自然科学の場合には之に反して、そういう種類に相当する自然哲学[#「自然哲学」に傍点]なるものは、寧ろ自然科学そのものによって排撃されるのを当然な建前としていたことを、思い出さねばならぬ。
社会科学がこれ程哲学と宿命的な交渉があるということは、同一の社会科学そのものの間に立場の殆んど無限な対立が存するということと、同一の事情だったのである。つまり夫々の社会科学の立場が云わば異った哲学の数だけに、分裂しているのである。自然科学はその根本方向と過程とに於て単一[#「単一」に傍点]で唯一[#「唯一」に傍点]だという特質を有っている。学問上の見解の分裂と対立とはそれが研究途上にあるものとして避け難い当然な事情だが、それは、その分裂と対立とが一定の共通のコースを想定しているその限界内で起きる場合に限る。処が社会科学ではこのコースそのものに分裂と対立とがあるのだ。――自然科学は哲学と大
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