フと自然科学のとの)が同じ自然弁証法自身だという点に、自然弁証法なるものが自然科学的世界[#「世界」に傍点](それは自然という現実の世界[#「世界」に傍点]の最後のメーキァップに他ならぬ)を特徴づける所以が存する。
自然科学の(一般に科学の)方法も、第一次的には自然現象そのものから、併し第二次的には自然科学の社会的規定・イデオロギー性によって、規定される、ということをすでに述べた。だから、この「自然科学の弁証法」としての自然弁証法は、その方法としての規定の一部分までも入れて、イデオロギーとして限定されている処のものに他ならない。之はその限り、歴史的社会的存在=社会にぞくする重大な側面を、常に保持している。――でそうすれば之は明らかに史的唯物論[#「史的唯物論」に傍点]の内容にぞくする側面を手離すことが出来ない約束の下に置かれている、ということになる。ここに自然弁証法そのものの内に、史的唯物論の一部面と一致するものが存するという、第一の連関が横たわるのである。――自然科学は一つのイデオロギーであった。従ってその限りその弁証法は直ちに史的唯物論にぞくする。
だがそれだけではない。元来自然と社会との自然史的連関づけの仕事は、他ならぬ労働の役割[#「労働の役割」に傍点]だったのである*。自然が発展して人間的社会にまで上昇するのは、つまり猿から人間を区別するものは、労働(生産の又生産手段生産の)なのである。そしてこの労働の諸手段の体系が技術的なるもの[#「技術的なるもの」に傍点]であることはすでに述べた。であるから自然と社会との自然史的連関[#「自然史的連関」に傍点]は、この技術的なるもの(便宜上[#「便宜上」に傍点]「技術」と呼んでおく――但し夫が正確でないことに就いては前を見よ)を介して成り立つ。従って又、自然が社会の内にとり入れられるのは、正にこの技術によってなのである。自然は社会に存在する技術によって部分的に順次にマスターされる。だから自然と社会との云わば社会的な[#「社会的な」に傍点]連関も亦、この技術を介して与えられる。――自然科学の弁証法としての自然弁証法に含まれる例の社会的規定性・イデオロギー性も亦実は、この技術と離れては考えられない。
[#ここから2字下げ、折り返して3字下げ]
* エンゲルス「猿の人間への進化における労働の役割」(エンゲルス『自然弁証法』上――岩波文庫――の内、或いは Marxismus und Naturwissenschaft―herg. von O. Janssen――の内)参照。――だが技術主義に陥らぬために断わっておかねばならないが、之は必ずしも「技術[#「技術」に傍点]の役割」と一つではない。
[#ここで字下げ終わり]
と云うのは、自然科学は技術学[#「技術学」に傍点]と本質上の同一性を有っている。云うまでもなく両者は技術を離れては成り立たなかった。処がこの技術的なるもの――労働手段の体系――は恰も社会科学の対象であり、従って史的唯物論の一内容に他ならない。だから自然科学の弁証法としての自然弁証法は、この技術的なるものを介して史的唯物論の一部分と合致する処の重大な一側面をもっている、というわけになるのである。――之が自然弁証法と史的唯物論との第二の連関である。
処がこう云って来ると、自然そのもの[#「自然そのもの」に傍点]自身が、一つの新しい規定をつけ加えられねばならぬことになるのである。なぜというに、史的唯物論と自然弁証法(自然科学の弁証法)との両者にぞくする共通領域であった技術なるものは、他でもないので、実は自然そのものをマスターし之を変革する処の技術の領域だったからだ。ここに技術によってマスターされた限りの自然なるものを考えなければならなくなる。之は云うまでもなく依然として自然そのものなのだが、夫にも拘らず、それが技術によってマスターされた限り、ただの自然ではなくて、社会[#「社会」に傍点]の物質的基底であり又社会的存在にぞくする自然でなくてはならぬ(発電所や植林、道路・橋梁・堤防・築港など)。明らかに之は自然そのもの[#「そのもの」に傍点]と社会との共通領域である。
そうすれば、例の自然そのものの弁証法も亦、この部分に於ては[#「この部分に於ては」に傍点]、史的唯物論の一部分と実質に於て別なものではない。史的唯物論の一部分が自然弁証法にぞくすると共に、自然そのものの弁証法の一部分が、又史的唯物論にぞくする、ということになる。之が第三の連関である。
(処でこの第三の連関から結果することは、自然そのもの[#「そのもの」に傍点]の弁証法の一部分[#「一部分」に傍点]が――併し全体がではないことを忘れてはならぬ――このようにして史的唯物論の一部面と相蔽うことによって、自然科学[#「自然科学」に傍点]乃至技術学[#「技術学」に傍点]の弁証法の一部分と、実質に於て別なものではなくなる、ということである。――之が自然そのものの弁証法と自然科学の弁証法との、連関である。)
自然と社会とは自然史的な一貫した連関を持っていた。そこから自然弁証法と史的唯物論との連関が、一般的[#「一般的」に傍点]に、必然である筈だった。今その内容[#「内容」に傍点]が、右に述べた通りだったのである*。
[#ここから2字下げ、折り返して3字下げ]
* 自然科学的世界としての自然弁証法に就いて、その反映[#「反映」に傍点]としてのモメントに重点をおくか(realiter)、構成[#「構成」に傍点]としてのモメントに重きをおくか(idealiter)によって、自然弁証法と史的唯物論との比重が異って来る。前の場合には自然弁証法は勿論史的唯物論の基礎[#「基礎」に傍点]である。だが、後の場合には、自然弁証法はその時局的にアクチュアルな内容に於ては、却って史的唯物論によってリードされることになる。マルクスによって史的唯物論の方がまず大成されたという関係は、この後の契機から説明されねばならぬ。――だが科学的認識の発達が、つねに、対象手近かな吾々にとっての[#「吾々にとっての」に傍点]姿から、対象のそれ自身に於ての[#「それ自身に於ての」に傍点]姿にまで、溯及する本質をも持っているということを、忘れてはならぬ。
[#ここで字下げ終わり]
さてまず初めに、自然弁証法に就いて簡単に述べよう*。
[#ここから2字下げ、折り返して3字下げ]
* 自然弁証法に関する典拠は、エンゲルス『自然弁証法』・『反デューリング論』、レーニン『唯物論と経験批判論』(何れも岩波文庫版訳)であるが、一般の唯物弁証法の教程の一部としてあるものは別にして、独立のテキストは、史的唯物論のものに較べれば殆んど無いに近いとさえ云っていい。ゴルンシュタイン『弁証法的自然科学概論』、岡・吉田・石原『自然弁証法』(『唯物論全書』の内)などが相当纏った参考書である。――なおマクシーモフ『レーニンと自然科学』(桝本訳)やデボーリン『弁証法と自然科学』(笹川訳)を参照。
[#ここで字下げ終わり]
エンゲルスの自然弁証法は、その根本的な対立にも拘らず、ヘーゲルの自然哲学[#「自然哲学」に傍点]と決して無関係ではない。そしてヘーゲルの自然哲学はシェリングとカントとの夫に直接つながっている。だから自然弁証法の歴史的考察は、近代の自然哲学史を離れては完全ではない。――処がカントの自然哲学は、その天体理論(夫をカント自身は本来の自然哲学の内には数えないが)を別にして、ニュートン物理学(乃至力学)の形而上学的原則の確立を意味していた。と云うのは、ニュートンの力学的範疇の根柢に、如何にしてアプリオリ[#「アプリオリ」に傍点]な原則を求めることが出来るかということが、彼の自然哲学の問題であった。之は自然そのものの歴史的過程(含蓄ある意味での運動)を問題にするのではなくて、之とは全く独立な合理主義的思弁による根本概念の構成だったのである*。シェリングに至ってもこの点少しも変らない、シェリングに於ては、自然の分極性[#「分極性」に傍点](〔Polarita:t〕)とそれによる勢位[#「勢位」に傍点](Potenz)の上昇とが、自然を一貫する運動であった(ここに一種の弁証法がある)。だがこの大部分が、極めてロマン派的な(フィヒテから来る)空想に基いたものに他ならなかったのは別として、ここでも亦、自然はそれ自身の[#「それ自身の」に傍点]歴史的過程に於て叙述されたのではない**。ヘーゲルでも亦そうであった。彼の自然哲学に於ける自然の弁証法的体系は、自然自身[#「自身」に傍点]の運動に基いて展開される代りに、概念の自己運動の順序に従って段階づけられたに過ぎない。
[#ここから2字下げ、折り返して3字下げ]
* カント『自然哲学原理』(戸坂訳)を見よ。
** Schellings Werke, Bd. I. II.(〔Mu:nchner Jubila:umsausdruck〕)の内の諸論文。
[#ここで字下げ終わり]
自然哲学に歴史的過程[#「歴史的過程」に傍点]という弁証法の根本性質を見出したものは、併し実はカントの天体進化の理論であった。そして一方、有機界の歴史的進化の過程という観念に到着したのは、ビュフォン等であった。――だがいずれも之を「自然弁証法」という観念にまで高め得る程の、自然科学上の現実的与件を、当時まだ持っていなかったのである。自然の歴史的発展の思想の下に、自然弁証法の観念が、発生し得るためには、自然科学の目醒ましい発達が行なわれ始めた十九世紀後半まで待たねばならなかった(エンゲルスの自然弁証法に関する最初の覚え書き「弁証法と自然科学」は一八七三年に始まる)。
私は今ここに、自然弁証法を体系的に叙述し得ようなどとは思わない。まだ充分に体系づけられていないものを、今ここに俄に体系づけることは可なりの冒険だろうからだ(この点史的唯物論と場合を異にする)。ただ特徴的な二三の点だけを拾いあげて、一応纏った見通しをつけて見ようとするに他ならぬ。そしてその出発点となるものが、かの自然自身の歴史的過程[#「自然自身の歴史的過程」に傍点]なのである。――だが自然とは一体何か。
自然については古来、自然哲学者乃至哲学者の、様々な考察があるのだが、含蓄ある意味に於て、之を物質[#「物質」に傍点]と呼ぶことが出来る。自然即ち客観的存在――主観から独立に存在する存在――が哲学的な意味に於ける物質であることは、唯物論の根本命題であった。処が自然のこの根本的な第一規定がすでに、弁証法的であったことを、まず注意せねばならぬ。プラトンの質料(=哲学的意義に於ける物質)は普通無[#「無」に傍点](又は場所・空間)と考えられている。それは確かに単なる有[#「単なる有」に傍点](「ある」)でないという意味では、無でなくてはならぬ。処が最近の哲学史家達の研究が示すように、この無はただの虚無ではなくて、寧ろ、有という定形[#「定形」に傍点]を以てしては徹底限定し得ない程に、盛りあふれた豊富さそのものを意味するらしい。だから之は有でないことによって却って、有でないどころではなく、圧倒的な有なのである。かくて哲学的範疇としての物質は、存在(=有)は、所謂有と所謂無との矛盾に於て初めてなり立つ処の、その古典的な総合概念なのである*。
[#ここから2字下げ、折り返して3字下げ]
* 哲学的物質の概念の発展と特徴に就いては、拙稿「物質の哲学的概念について」(『唯物論研究』二六号)〔本全集第三巻所収〕を見よ。
[#ここで字下げ終わり]
物質の哲学的範疇を、認識の歴史はやがてその物理学的範疇にまで、具体化し又は特殊化すが、この物理学的範疇としての物質を見る前に、物質の(自然の)次の根本規定を注目する必要がある。というのは物質は運動[#「運動」に傍点]することをその根本特色としている。運動しない物質は、物質ではあり得ないからである。――処で一体、運動なるものが弁証法の代表的な場合であることは、ゼノ
前へ
次へ
全33ページ中28ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
戸坂 潤 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング