ヘ之を簡単なために、科学的批評[#「科学的批評」に傍点]と呼ぶことが出来る。
処で之は諸科学に於ける批評と実証との連関であるが、之を再び、一般に文化イデオロギー――文芸や科学――に於ける両者の連関にまで、一般化して引きもどせば、科学的批評の概念はそれだけ一般化される。実際人々は、文芸に於ても、「科学的批評」の問題を有っているだろう。
今、こういう操作によって取り出された科学的批評[#「科学的批評」に傍点]の概念こそ、イデオロギーの実証的モメントと批評的モメントとの連関、即ち又アカデミズム的契機とジャーナリズム的契機との連関の、最も特徴的な場合に外ならない。云わばそれは、アカデミズムとジャーナリズムとの数学的相乗積なのである。――ジャーナリズムのイデオロギー的機能とアカデミズムの夫とは、このような形態で以て連関するのを特徴的な場合とする。
さて、批評という言葉は実はどのような意味にでも用いることが出来るが、夫が科学的[#「科学的」に傍点]批評であるためには、批評は一定の価値評価[#「価値評価」に傍点]を結果する処の批判[#「批判」に傍点]でなければならない。そうでなければ批評は単なる評判や無駄なさし出口に過ぎないのであって、何の促進的なイデオロギー的機能を果すものでもなくなって了う。処が価値とは、すでに述べた通り、論理学的[#「論理学的」に傍点]なものでなければならなかったから、価値の評価は又論理学のものでなければならない。例えば一つの或る理論が金利生活者のイデオロギーだという、そういう社会学的[#「社会学的」に傍点]事実を指摘しただけでは、まだ単に科学的ではあっても批評的ではなく、又単に批評的ではあっても科学的ではない。そうではなくて、金利生活者のイデオロギーであるが故に、その理論の体系に於ける誤謬[#「誤謬」に傍点]や虚偽[#「虚偽」に傍点]が(或いは又その部分的真理[#「部分的真理」に傍点]が)摘出されて初めて、批判は科学的となる。その時初めて批判[#「批判」に傍点]は効力を発生するのである。この場合併し、金利生活者の理論体系のこの論理学的[#「論理学的」に傍点]構成が金利生活者の社会的歴史的――階級的――定位の社会学的[#「社会学的」に傍点]構成に対応せしめられる。[#傍点]イデオロギーの論理学がイデオロギーの社会科学[#傍点終わり](もはや必ずしもイ
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