ト、この歴史的社会の運動に必要と考えられる諸形式を与えることによって之を独自に指導することを専心する処の、イデオロギーの運動形式である。だがそれが独自の原理と節操とを守ろうと力める余り、この歴史的社会の運動を促進する代りに、却ってその運動を固定せしめる、運動は惰性に落されるということになる。かくてアカデミズムは人々によれば固陋な自己満足に日を送るかのように見えるのである。
 両者は元来、基本的・下部構造的・歴史的社会の発展の運動形式に対する、上部構造・イデオロギーの、取り得べき二つの運動態度でなければならなかった。それは元々、歴史的社会の運動をイデオロギー的に促進せしめるための、相互に補い合う筈の二つの極から成立っているメカニズムだったのである。それが或る条件の下には――その条件は後を見よ――その本質に含まれていた可能性を通して、却ってこの運動の制動機ともなることが出来る。でジャーナリズムの欠陥はアカデミズムの長所に、アカデミズムの欠陥はジャーナリズムの長所に、元来は対応する筈である。アカデミズムは容易に皮相化[#「皮相化」に傍点]そうとするジャーナリズムを牽制して之を基本的な労作に向わしめ、ジャーナリズムは容易に停滞に陥ろうとするアカデミズムを刺戟して之を時代への関心に引き込むことが出来る筈である。アカデミズムは基本的[#「基本的」に傍点]・原理的[#「原理的」に傍点]なものを用意し、ジャーナリズムは当面的[#「当面的」に傍点]・実際的[#「実際的」に傍点]なものを用意する。
 イデオロギーの二つの本質的な契機[#「本質的な契機」に傍点]としては、ジャーナリズムとアカデミズムとは正に以上のような有機的[#「有機的」に傍点]な連関にあり、又そうなければならぬ。だが、イデオロギーの二つの歴史的形態[#「歴史的形態」に傍点]としての両者は、即ち現代に於ける[#「現代に於ける」に傍点]ジャーナリズムと現代に於ける[#「現代に於ける」に傍点]アカデミズムとの連関は、単にこう云っただけでは片づかない。

 現代に於けるアカデミズムは、主として現代に於ける大学の本質[#「大学の本質」に傍点]によってその実質を決定されている。アカデミズムは元来、何かこうしたインスティチュートの特殊な存在によって制約されているものであったが、今日の――資本主義社会に於ける――大学は、更に特殊な社会
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