カ在」に傍点]乃至事実[#「事実」に傍点]の上からは現実性[#「現実性」に傍点]として、行為[#「行為」に傍点]の上からは活動性[#「活動性」に傍点]として、生活[#「生活」に傍点]の上からは社会性[#「社会性」に傍点]として、規定されねばならぬ。吾々の日常生活・常識の世界・の積極的な内容は恰もこうしたものなのである。常識の主体と考えられる公衆が、公衆として関心を持つ問題は実際、こうした規定によって理解出来る処の時事問題[#「時事問題」に傍点]なのであって、時事問題とは言葉の通り、決して永久な問題ではあり得ない、公衆が健忘症である所以である。
現実行動性によるこの時事問題は併し、常に政治的性格[#「政治的性格」に傍点]を有っている、日常生活は実践性[#「実践性」に傍点]――社会活動性――を有っているが、そうした実践性が含蓄ある意味での政治性に外ならない。事実所謂政治は、良い意味に於ける常識によって取り行われるべきだと、デモクラシーの理想は教えている。政治に玄人はあってはならぬ、凡ての人が、政治に干与しなければならないと。
処がこの政治的・時事的・問題は常に、思想[#「思想」に傍点]――イデオロギー――と呼ばれるものと結び付いている。人間の社会的実践が政治に於て最も著しいとすれば、この実践を顕著に反映する意識が、所謂思想なのである。思想とは併し常に、哲学的[#「哲学的」に傍点]・世界観的[#「世界観的」に傍点]・意識の外ではない、政治は思想に、思想は哲学に、同伴する、政治学は元来哲学の重大な一部門であった。――処でジャーナリズムの内容は、社会人の有っている世界観・哲学・の一つの直接な表現でなくてはならない、そこでは世相[#「世相」に傍点]が躍如として現われる。例えばジャーナリズムが何か非日常的・超常識的・非時事的・非政治的な部門の学芸を取り扱う時も、必ず之に何か思想的・哲学的・世界観的・な視角を与えることによって、之を時事化・政治化・現実行動化することを忘れないだろう。
この現実行動性・時事性から出て来るジャーナリズムのも一つの規定は、その総合統一性[#「総合統一性」に傍点]である。というのは、ジャーナリズムはその世界観的統一[#「統一」に傍点]によって、各々の専門的[#「専門的」に傍点]な諸科学を、又各々の分科的な諸文化を、初めて連関せしめることが出来る。云わ
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