ーると、之に対立するものは是非ともアカデミズムでなければならない。――処でアカデミズムも亦、一方に於て、現在の大学や研究所というインスティチュートを生産し之によって又生産される処の、イデオロギーの現代に固有な歴史的一形態[#「歴史的一形態」に傍点]であると共に、他方に於て古来存在するイデオロギーの本質的な一契機[#「本質的な一契機」に傍点]でもなければならない*。今日のアカデミズムは欧洲の諸大学が宗教的束縛から実質的に脱却したことからその形態を決定されたのであるが、すでに他方ギリシア時代の昔からアカデミズムは存在した、例えばイオニア学派[#「学派」に傍点]・ピュタゴラス学壇[#「学壇」に傍点]・プラトンのアカデミー等々。
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* 時代によっては「アカデミー」と「大学」とは対立する。十七世紀の欧洲はその例であろう。併しこの対立は科学や文芸に於ける進歩的なアカデミーと反動的な大学との対立なのだから、イデオロギーの論理学にとっての対立であって、没論理的なこのイデオロギーの社会学の上での対立ではない。それで今の場合、アカデミズムという範疇は主として大学を云い表わすと見ても不当ではない。
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だがジャーナリズムとアカデミズムとはどう対立[#「対立」に傍点]するか。
ジャーナリズム(Journalism)という言葉はカエサルの官報である世界最古の新聞紙 Acta Diurna(日報)から来たと云われている。Diurna ――それが Journal と訳される――は日々(Jour)に関するものである。だから Journal とは、主観的には日記(例えばアミエルの Journal intime)などを意味するし、客観的には新聞紙[#「新聞紙」に傍点]などを指すこととなるのである*。ジャーナリズムとは、こうした日々[#「日々」に傍点]にぞくするものが一つの原理[#「原理」に傍点]となったものに外ならない。
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* 新聞紙に就いては拙稿「新聞現象の分析」(『法政大学哲学年誌一九三二』【本全集第三巻所収】)を見よ。
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でジャーナリズムが日々[#「日々」に傍点]の、その日その日の[#「その日その日の」に傍点]、生活[#「生活」に傍点]と関係していることを先ず
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