ナあったと云われる。
[#ここで字下げ終わり]
処が他方ジャーナリズムは、もっと立ち入って考えて見ると、報道物[#「報道物」に傍点](Nachrichtenwesen[#「Nachrichtenwesen」は底本では「Nachrichtenwessen」])――そういう一つの交通関係[#「交通関係」に傍点]――に外ならないとも見られねばならない。そうすれば夫は一切の過去の又現在する諸民族の――原始民族さえの――生活のある処に悉く伴うものでなければならぬ。この点から見ればジャーナリズムは決して、現代にだけ特有なイデオロギーの形態なのではない。
併しそれがどれ程古い時代からあったにせよ、報道乃至交通というこの後の意味でのジャーナリズムも亦、人間生活の物質的な生産諸関係――社会の下部構造――に対する上部構造であるという点で、依然としてイデオロギーの資格を持っていなければなるまい。そうすれば之は、イデオロギーの――現代にだけ特有であるような――歴史的一形態[#「歴史的一形態」に傍点]ではないにも拘らず、なおイデオロギーの――云わば本質的[#「本質的」に傍点]な――一契機[#「一契機」に傍点]であると云わねばならぬ。
元来イデオロギーは、社会の上部構造の、時代々々によって異る諸形態[#「諸形態」に傍点]――イデオロギー形態――を意味すると共に、又社会の上部構造一般[#「一般」に傍点]――単に[#「単に」に傍点]イデオロギー――をも意味する筈であった(前を見よ)。このようにしてイデオロギーの云わば本質的な契機[#「契機」に傍点]と歴史的な形態[#「形態」に傍点]とを媒介することが、イデオロギーという弁証法的[#「弁証法的」に傍点]概念なのであるが、ジャーナリズムも亦その通りである。ジャーナリズムとは、一方に於て本質的な――昔から常に存在した――報道乃至交通関係というイデオロギーの一契機でありながら、同時にそれが、歴史的必然性に従って、今日の所謂ジャーナリズム(ブルジョア・ジャーナリズム)というイデオロギーの一形態にまで発展して来なければならなかった、その所以を弁証法的に物語る概念なのである。
ジャーナリズムは、普通それが任意の視角からどう見られようと、イデオロギー論の問題として取り上げられるのでなければ、統一的に解明出来ないのであるが、之をイデオロギー論の視角から取り上
前へ
次へ
全189ページ中34ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
戸坂 潤 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング