^動情勢は取り出されずに終るだろう。こうしたイデオロギーの没論理的構造[#「没論理的構造」に傍点]を取り扱うものを、イデオロギーの社会学と呼んでおこう、というのである。
 実際、所謂――ブルジョア的――社会学[#「社会学」に傍点]が提供する社会の歴史的な又は非歴史的な諸関係形式は、その立場[#「立場」に傍点]をさえ除外したならば、弁証法的骨髄――論理的乃至論理学的原理――によって貫かれるべき社会科学[#「社会科学」に傍点]の豊富な内容となることが出来るだろうし、又そうならなければならぬのである。

 吾々は今、主に文化形態としてのイデオロギーの没論理的な歴史的社会的構造として、イデオロギーの二つの契機[#「契機」に傍点]乃至二つの形態[#「形態」に傍点]を対立せしめそして連関せしめよう。ジャーナリズムとアカデミズム。
 普通世間でジャーナリズムと呼ぶものは、大抵新聞紙[#「新聞紙」に傍点]に関係した事物を指すようである。併し云うまでもなく之は単に新聞紙又は一般に新聞現象に関係したものばかりを指すのではなくて、広く、雑誌とかキネマ・劇壇・ラジオ等々という現代に特有なイデオロギーの社会的諸物体の関係物を指している。そういう社会的諸物体を生産し又そういう諸物体を機関として表現されるような社会的意識[#「社会的意識」に傍点]・イデオロギー――の現代に於ける[#「現代に於ける」に傍点]――一形態が実は、この場合のジャーナリズムの意味なのである。ジャーナリズムは、その限りイデオロギーの――現代に特有な[#「現代に特有な」に傍点]――一形態[#「形態」に傍点]である。実際今日の所謂ジャーナリズム――それはブルジョア・ジャーナリズムと呼ばれるべきだが――は近世に於ける欧洲の商業ブルジョアジーの台頭によって、今日の形態への萌芽を植えつけられた。十六世紀のヴェニスには近代的新聞紙[#「近代的新聞紙」に傍点]の最初のもの(Notizie Scritte)が出たし、十七世紀初頭のフランクフルトアムマインやアントワープやロンドンが之に継いで新聞紙を発行している。それ以前のものは同じく新聞紙と云っても近代新聞紙の諸特徴を具えてはいなかった*。
[#ここから2字下げ、折り返して3字下げ]
* 併しブルジョア・ジャーナリズムが今日の隆盛[#「隆盛」に傍点]を来すに至ったのはフランス革命を契機にして
前へ 次へ
全189ページ中33ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
戸坂 潤 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング