煤uファシズム」に傍点]が今日之を代表する――であったことが暴露されて来る。――だが反動理論は必ずしもこのような拙劣な形でばかり現われるのではない。同じく――一応進歩的な――欧洲哲学的範疇体系を採りながら、反動理論は形式論理的[#「形式論理的」に傍点]な範疇体系を選択することによって、弁証法的論理[#「弁証法的論理」に傍点]の範疇体系を拒否することが出来る。丁度社会ファシズムや社会民主主義の理論に於てのように。
 かくてイデオロギーの論理学――夫はイデオロギーの心理学の到着点であった――は、イデオロギーの範疇論[#「範疇論」に傍点]となって具体化される。吾々は一般に論理学に於ける所謂「範疇論」を、こういうものにまで改造しなければならないだろう。
 イデオロギー論は、その範疇論に立脚することによってイデオロギー――意識・政治秩序・文化――に対する基本的な(但し後に見る通りまだ全部ではないが)論理的批判[#「論理的批判」に傍点]――之が同時に歴史的批判[#「歴史的批判」に傍点]である――を与えることが出来る。一体論理の構造や従って又科学の構成は結局範疇体系が適宜に具体化されたものに過ぎない。そうしてこうした論理や科学と範疇体系の上で共軛関係にある処の他の一切の文化――芸術・道徳・宗教其他――も亦、その限り範疇体系によって初めて組織が与えられるのである。イデオロギーは単なる意識乃至意識(観念)形態ではない、論理的価値[#「論理的価値」に傍点]=歴史的価値[#「歴史的価値」に傍点]を負った夫なのである。だからこそそれは客観的な文化形態ともなることが出来るわけである。――イデオロギーの論理学なしには、何の有効なイデオロギー論もないのだが、それに必要なものがイデオロギー論的な範疇論なのである。
 イデオロギーを意識形態だとすれば、イデオロギーの心理学[#「心理学」に傍点]はかくて論理学[#「論理学」に傍点]に集約されて初めて成り立つことが出来る。社会心理と呼ばれるものや個人心理なるものは、云うまでもなく一応心理的に問題として取り上げられねばならないが、それがイデオロギーの資格を以て登場するためには、この心理学が更にイデオロギーの論理学にまで高められねばならぬ。そうしなければ意識形態[#「意識形態」に傍点]と文化形態[#「文化形態」に傍点]とは決して媒介されずに終らねばならないだ
前へ 次へ
全189ページ中30ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
戸坂 潤 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング