ト共軛化されていない、まして二つのものの一致は望むことが出来ない。なぜなら欧洲哲学的範疇は現代の――文化民族による――社会全般の生きた機関(オルガノン)であるに反して、東洋哲学的範疇はすでにその成長を止めて、単に古典的な範疇として古典学的な意味をしか有っていないからである*。
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* ギリシア的乃至欧洲的思想は無論古来東邦的・印度的・思想と交流している。文芸美術に就いてはこの点は特に著しい(例えばガンダハーラ芸術)。――又数学に於てのような抽象的な(非日常的な)範疇は、割合非歴史的であるだけに、発生系統と無関係に、相互の間の一致を持つことも出来る(例えばニュートンと関孝和)。――だが問題は今(日常的な)哲学的範疇に就いてである。
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範疇の異った諸系統の間には、現在吾々が見ているように、こうした自然淘汰が行われている、之が哲学的諸範疇系統の歴史的運命・必然性なのである。この歴史的必然性を、無意識にか故意にか無視することによって人々は、東洋哲学的諸範疇――例えば国学的・朱子学的・陽明学的・仏教的・等々――を欧洲哲学的諸範疇に取って代わらせたり、後者を前者に強制的にあてはめたりすることが出来る。社会組織の問題が国学によって決定されたり、弁証法が完全に華厳経にあったり何かするのである。
社会的発生学と歴史的系譜学とを有つ(イデオロギーに於ける)哲学範疇――だが夫は実はすでに範疇体系[#「範疇体系」に傍点]である――は、唯物史観によって、更に階級性[#「階級性」に傍点]の別を与えられる。欧洲哲学的範疇は同時に現代に於ける東洋にも通用せねばならぬ処の範疇である。吾々はこの範疇体系を日常選択することによってのみ、電車を動かし、ラジオを聴き、経済生活をなし、政治生活をなす。なぜならこの範疇は科学的範疇[#「科学的範疇」に傍点]に一続きなのがその特色だからである。処が人々は、或る階級イデオロギーを組織するために、是非とも、例えば国民道徳[#「国民道徳」に傍点]というような一定の領域に限って、特に東洋哲学的な――それは結局国粋的[#「国粋的」に傍点]な――範疇体系を選ばねばならぬ。そうなると、今までは単に歴史的[#「歴史的」に傍点]な反動でしかなかったこの範疇選択は、実は階級的[#「階級的」に傍点]反動――ファシズム[
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