部構造という社会的な存在[#「社会的な存在」に傍点]であるばかりではなく、それが夫々の一定の形態物――観念形態――であることから、論理的な価値物[#「論理的な価値物」に傍点]とならねばならない。意識の問題は吾々によればイデオロギーの問題であったが、そうであることによって意識の問題――意識という存在[#「存在」に傍点]の問題――は所謂価値[#「価値」に傍点]の問題にまで成長するのである。
 所謂価値[#「価値」に傍点]は吾々のイデオロギーの概念によって初めて、その誕生の不思議なカラクリを示される。所謂「価値論」によれば、価値は存在とは完全に別である、それは存在からは発生しない。だがそうすれば一体価値はどこから生れるのであるか、空から天降ってでも来るのであるか。こうした困難を恰も弁証法的に解決するものがイデオロギーの概念である。イデオロギーは一つの存在物である、だがそれ故にこそ[#「それ故にこそ」に傍点]夫は一つの価値物となる[#「なる」に傍点]、夫は真理[#「真理」に傍点]或いは虚偽[#「虚偽」に傍点]を云い表わすのである*。
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* イデオロギーをば、歴史の運動に取り残された意識と考えることは、一般に行われる処であるが、意味のあることだ。なぜなら之は、イデオロギーが何故虚偽意識[#「虚偽意識」に傍点]となるかということの一つの説明を与えるからである。イデオロギーとは要するに歴史的存在に追いつけない意識だから虚偽だという主張なのである(歴史的存在を追い越して了った意識は之に反してユートピア[#「ユートピア」に傍点]と考えられる)。――だが、之では真理意識[#「真理意識」に傍点]としてのイデオロギーは理解するに由がない。イデオロギーの価値的規定は単に歴史の時間的なメカニズムだけからは与えられない、社会の云わば空間的な――階段[#「階段」に傍点]による――メカニズムを用いなければならない理由が茲でも明らかだろう。
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 単なる意識[#「意識」に傍点]は高々存在(自然・歴史的社会)の単なる[#「単なる」に傍点]反映を云い表わす概念である。イデオロギー[#「イデオロギー」に傍点]は、意識形態[#「意識形態」に傍点]は、之に反して存在の反映を具体的に叙述する[#「具体的に叙述する」に傍点]処の概念である。イデオロギ
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