[#「階級性」に傍点]が真理[#「真理」に傍点]を選ばせる。――だが、そうは云っても階級性そのものが真理を成り立たせるのではない、客観的[#「客観的」に傍点]真理は主観的[#「主観的」に傍点]な階級性を超越して通用しなければならない。尤もそう云っても、単純に機械的に、真理は客観的でなければならず之に反して階級は主観的に過ぎないなどと、考えることは許されない。問題は、主観的な階級が或る場合何故客観性[#「客観性」に傍点]を有つことが出来又有たねばならぬかということの、具体的な弁証法的な理解にあるのである(例えば自然弁証法に於て、自然[#「自然」に傍点]の客観性と階級[#「階級」に傍点]の主観性とを無媒介に対立させて、之かあれかを問うことなどは、独りよがりな饒舌家がしそうなことである)。
(プロレタリア)イデオロギーの――主観的な――階級性[#「階級性」に傍点]が論理上の客観性[#「客観性」に傍点]を持ち得また持たねばならぬということは、社会の持つ歴史的必然性[#「歴史的必然性」に傍点]からの直接な結果に外ならない。歴史的社会がその内的必然性によって是非ともかくかくに運動せねばならぬという関係それ自体の構造が、実はやがて真理というものの構造に外ならない。歴史的社会にこの歴史的必然性があるからこそ、それは自然史的[#「自然史的」に傍点]に分析されることも出来る。所謂「歴史的必然性」とは、一種の自然必然性[#「一種の自然必然性」に傍点]に外ならない。
でイデオロギーの真理性は、歴史的社会の――一般的に云えば併し自然[#「自然」に傍点]の――必然的運動機構の、反映だったのである。この反映を実現する手段として、階級が、階級性が、横たわる。云うまでもなく、この階級乃至階級性の媒介過程は、イデオロギーが歴史的社会に就いての意識であるか、それともより根源的な所謂自然に就いての意識であるかによって、その段階を異にする。自然科学のイデオロギー性に於ける階級性は、社会科学の夫に較べて、著しく低い段階に位置する。だがそうであるからと云って、自然科学のイデオロギー性乃至階級性を苟にも無視して良いと考えるものがいるとしたら、それは知らず知らずに、自然自体に対する――例えば夫と社会との連関というような点に就いての――弁証法的理解を怠った者だと云わねばならぬ。
かくてイデオロギーは、単に社会の上
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