発して初めて個人の意識から区別された処の意識概念、即ち個人的意識[#「個人的意識」に傍点]の概念、の一つの場合に外ならない。それが個人的意識の概念にぞくしながら、それにも拘らず超個人的な――集合的な――性格を有たねばならなかった処に、この概念の無理があったのである。実際マクドゥーガルは、集団心の研究があくまで個人心理[#「個人心理」に傍点]の研究から出発すべきであることを、特に強調することを忘れない。――だからこそ彼による集団心の概念が、あのように曖昧であらざるを得なかったのである。
マクドゥーガルの社会心理学――群衆心理学乃至集団心理学・集団心の理論――は、吾々が見た之までの他の諸社会心理学と同じく、社会の分析から出発する代りに、意識の――無論其が個人的意識の――分析から出発する*。――之は観念論的社会理論の部分的な一結果に過ぎない。
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* この点で、マクドゥーガルはフロイトと全く一致する。実際、マクドゥーガル自身の云う処によるとフロイト主義に於て錯綜(Komplex)と呼ばれたものは、マクドゥーガルの心理学に於ける Sentiment の概念と一致する。
[#ここで字下げ終わり]
さて集団心[#「集団心」に傍点]の概念が困難である限り、之を中心とした群衆心理学[#「群衆心理学」に傍点]の問題も、人々は解くことが出来ない。処が夫が解けなければ、群衆心理学を中心とする限りの社会心理学[#「社会心理学」に傍点]の問題も亦解けない。意識――それはこの場合常に個人意識の従って又個人的意識の概念である――の分析から出発する限り、社会の心理学的分析は出来ない。そういうことが今指摘された。ブルジョア科学に於ける、所謂社会心理学[#「社会心理学」に傍点]は、自ら掲げる問題を解くことが出来ない、所謂社会心理学は社会心理学ではあり得ない[#「あり得ない」に傍点]。――だから今までの結果から吾々はこう結論することが出来る。ブルジョア的社会心理学によっては、かの社会人の心理[#「社会人の心理」に傍点]乃至イデオロギー[#「イデオロギー」に傍点]――夫が社会と意識との連絡点を示す筈であった――を分析することが出来ないと。
[#3字下げ]四[#「四」は小見出し]
所謂社会心理学と呼ばれているものは、社会の分析を意識の分析から始めた。では、今
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