横たわる。だのに二人の間の心理関係はそういう特色を有ってはいない。それは心であることが出来ない。集団心の概念は、単に、個人の心が周囲の社会的環境によって支配されるという事実を、極端な言葉で云い表わしたものに外ならない。それだのにマクドゥーガルは、個人の心の外に[#「外に」に傍点]、集合心乃至集団心が存在するかのように考えている。こういう心の概念は成り立つことが出来ない。そう云ってマキヴァーは攻撃する。――無論マクドゥーガルは心が常に個人によって所有される処のものに外ならないことを忘れない。だが彼は一方に於て心を至極広い意味に、そして集団心の概念を許すのに都合の好いように、定義[#「定義」に傍点]する**。彼によれば特に、心の構造[#「構造」に傍点]と機能[#「機能」に傍点]とは区別されねばならない。心の構造は個人の心にぞくするが、その機能は必ずしも個人心理的なものには限らない、集団心は個人の心によって所有されるには違いないが、なおそれとは独立に、夫は一つの実在性[#「実在性」に傍点]を有っている、とマクドゥーガルは考える***。――だが、このような集団心の実在性[#「実在性」に傍点]――実体性[#「実体性」に傍点]――に就いては、マクドゥーガルの弁明にも拘らず、人々は依然として、合理的な概念を有つことが出来ないだろう。
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* R. M. Maciver, Community, p. 76―88.
** 「吾々は心を、精神的乃至目的的諸力の組織的体系として定義して好い。こう定義された意味に於ては、高度に組織された人間社会が集団心を有つ、ということが出来る。」(McDougall, Psychology, p. 229)
*** 「で、集団心の実在性を仮定するのは、独り私ばかりではない。」(McDougall, The Group Mind, p. 19)
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 集団心の概念構成がこのように無理であることは、この概念が個人心の概念と区別されるにも拘らず、飽くまで夫が個人心[#傍点]から区別された限りの[#傍点終わり]、即ち個人心から出発して構成された限りの、心の概念だからである。実際、心[#「心」に傍点]の概念であるならばそうある外はないだろう。――吾々の言葉に直して云うならば、集団心とは、個人の意識から出
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