窒ismus (Unter dem Banner des Marxismus[#「Marxismus」は底本では「Maxismus」] ※[#ローマ数字1、1−13−21]. 1.)
** W. Reich 前掲論文。彼によればフロイト主義は意識(精神)の唯物弁証法的構造を明らかにするものだと云う。だが唯物弁証法の諸公式[#「諸公式」に傍点]に部分的に当て篏まるということは、まだ少しも夫がマルクス主義的であることにはならない。夫はなおその全体の性格に於て反マルクス主義的であるかも知れないから。
***[#「***」は底本では「*」] I. Sapir 前掲論文。
[#ここで字下げ終わり]
だが凡そ批評の第一の真剣な目的は、批判される対象が自分の主張と一致するか否かを示すことではなくて、此の対象を如何に――積極的にか消極的にか――自分の側の発展展開に利用し得るかに横たわる。マルクス主義はフロイト主義をも亦、そういう目的意識の下に、批評対象として取り上げなければならない。問題は、フロイト主義がマルクス主義に何を寄与出来るかである。例えば、フロイト主義精神分析が社会(乃至イデオロギー)理論に、如何になり得ない[#「なり得ない」に傍点]かが問題ではなくて、もし多少とも――部分的にしろ――フロイト主義に真理があるならば、どういう条件の下にそれを社会理論になし得るかが問題なのである。そうして初めてフロイト主義をマルクス主義に取り入れる[#「取り入れる」に傍点]という言葉も、又取り入れないという言葉も、意味が生きて来るのである。――で、フロイト主義精神分析の方法であった個人心理学的方法は、どうすれば社会理論の方法に結び付くことが出来るか。ザピールはそこで両者の間に、社会心[#「社会心」に傍点](Sozialpsyche)の研究が※[#「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2−13−28]入されるべきだと考える。フロイト主義の批評は今や、マルクス主義に、社会心理学的[#「社会心理学的」に傍点]研究を必要な問題として課すものだということになる*(勿論この際、フロイト主義自身が社会心理学――それが結局何でなければならないかは後にして――まで行き着くことが出来ないということは、少しも邪魔にはならない。却ってそうであればこそ、夫が問題として提出されるのである)。そして之は取
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