ismus」] ※[#ローマ数字3、1−13−23]. 5】)。
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フロイト主義はかくて、個人心理学的方法による生物学主義である。それが社会理論――即ち又歴史理論――に於ては観念論的歴史観を産まねばならない理由であった。この世界観を吾々は初め、マルクス主義に対立させて見たが、今や両者の根本的な相違とその優劣とがおのずから明らかとなっただろう(そしてこの両者の社会階級的な役割が、どう振り当てられねばならないかに就いても、もはや説明を必要とはしないだろう)。吾々は少くともフロイト主義を観念論に還元し、そして観念論を一つのイデオロギーとして一般的に批判するならば、それだけでもフロイト主義を形式的に批判するには充分だと考える*。
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* イデオロギーとしての観念論の一般的な批判に就いては第三章を見よ。
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マルクス主義はフロイト主義と一つであるか一つでないか。両者が一応全く別のものであることに就いてはもはや何人にも異論はあるまい。それではフロイト主義はマルクス主義を取り入れることが出来るか。フロイト主義は自分の一つの説明対象としてマルクス主義を問題にすることが一応は出来た(コルナイの場合)――尤もそれは当然にも完全に失敗したものであったが。だがフロイト主義はマルクス主義の真理内容を自分の真理内容として取り入れることが出来るか。吾々はそういう試みの行われたかを知らない。逆にマルクス主義はフロイト主義を正当に説明対象とすることが出来るか。マルクス主義が統一的世界観である以上、勿論夫は出来ねばならない。W・ユリネッツの労作がその適例である*。それではマルクス主義はフロイト主義の真理内容を自分の真理内容として取り入れることが出来るか。夫を全く[#「全く」に傍点]不可能と考えたのはユリネッツの今の論文であり、之に反対してそのまま[#「そのまま」に傍点]――無論適当な解釈の下に――夫を取り入れることが出来ると主張するのはライヒである**。そして最後にザピールはライヒに対する批評に於て、フロイト主義は決してそのままマルクス主義の真理内容となることが出来ないことを明らかにした***。
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* W. Jurinetz, Psychoanalyse und Ma
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