\―から説明されねばならない。フロイトの最も有名な一つの説明原理に従えば、原始的な骨肉相姦の欲望である息子が母に対する性的衝動は、家長である父の権威ある欲望によって長く抑圧されて来た、この抑圧は人類の歴史を経るに従って一つの錯綜――オイディプス錯綜――を産んだというのである(デュルケム等によって明らかにされたトーテムも亦フロイト主義によれば、オイディプス錯綜に於て殺されてあるべき父を意味するものだと説明される)。でコルナイに従えば、例えばプロレタリア・イデオロギーもこのようなオイディプス錯綜に基づく。プロレタリアは土地から引き離されているために土地に還ることを欲求している――土地錯綜。そして土地は大地たる母(Mutter−Erde)、オイディプスの母、の象徴に他ならない、というのである。コルナイのフロイト主義的イデオロギー論によれば、一切の歴史的現象は誠に珍奇な説明を見出す。フランス革命は市民たるインテリゲンチャが大地たる母へ還ろうとする運動であり、それであればこそ農民が中心とならねばならなかった。農民は無論母との姦淫を欲していたわけである。マルクス主義はブルジョアによって搾取されそうに思う被害妄想であり、プロレタリアによる人類の救済は一つの宗教妄想に他ならない。弁証法と雖も妄想狂の所産であることを免れない。万国のプロレタリアの結束は、オイディプス錯綜から来る男同志のエロティシズムだと宣告される。――云うまでもなくこの種のものは、フロイト主義的イデオロギー論乃至フロイト主義的社会理論のカリカチュアであろう。そして之は必ずしもフロイト自身の責任ではないかも知れない。だが吾々は、このカリカチュアの本質を明らかにしなければならない。なぜならそれはやがてフロイト主義的理論自身の本質でもあるだろうから。
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* A. Kolnai, Psychoanalyse und Soziologie (英訳 Eden and Pedar).
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フロイト主義精神分析は無論、個人精神[#「個人精神」に傍点]の、広義に於ける個人意識[#「個人意識」に傍点]の、分析である。なる程その際、個人は単なる個人と考えられずに、正に社会に於ける・社会的・個人と考えられている。それであればこそ、検閲や抑圧・錯綜や昇華の概念も成り立つことが出
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