た。だが、この個人の有つ意識は、吾々の言葉に従うならば、あくまで個人的意識[#「個人的意識」に傍点]であってそれ以外の意識の概念ではない。というのは、意識――それは個人が所有するのであるが個人によって所有されるという点にその性格があるとは限らない――の概念は、専らそれが個人の所有であるという限りの意味に於てのみ、把握されているのである。この意識は如何に社会によって制約されると考えられていても、制約される意識自身が初めから個人的意識[#「個人的意識」に傍点]の概念によって制約されているから、社会的という規定はすでにこの意識に加えられるべく余りに立ち後れがしている。だからこそフロイト主義による個人の意識――精神――に於て、元来その社会的性格は至極表面的・付加的であらざるを得ない。――フロイト主義精神分析は、個人心理学的方法[#「個人心理学的方法」に傍点]を以てその方法とする*。これが今のカリカチュアの本質なのである。
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* 吾々はこの点及び他の点に就いて、I. Sapir がフロイト主義に加えた批評に同意出来る(I. Sapir, Freudismus, Soziologie, Psychologie. Unter dem Banner des Marxismus, ※[#ローマ数字3、1−13−23], S. 937 f. ※[#ローマ数字4、1−13−24], S. 123 f)。
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 個人心理学的方法に従うフロイト主義は、即ち個人的意識[#「個人的意識」に傍点]の概念から出発して分析を進めるフロイト主義は、何かの意味に於て超個人的[#「超個人的」に傍点]な意識(尤も哲学者の云うかの純粋意識や先験的意識のことではない)、又は社会心理学的[#「社会心理学的」に傍点]な意識(この概念に就いては後に見よう)にぞくする処の、かの社会人の心理[#「社会人の心理」に傍点]やイデオロギー[#「イデオロギー」に傍点]を、正当な視角から問題として取り上げることが出来ないように初めから出来ている。そこでは、社会人の心理乃至イデオロギーが、之とは全く質を異にしている個人的意識の直接な拡大か又は遠隔作用[#「遠隔作用」に傍点]として、個人的意識の類推物又は対応物として取り扱われる外にどうしても方法が見当らないのは尤もであ
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