サの抑圧された衝動が意識されることを禁止するのである(多くの精神症はここに原因しここからその症状を規定されて来る、精神分析術とは抑圧された衝動を患者に意識せしめることによって之を治療する技術である)。
フロイトの精神分析の最も著しい特色は併しながら、この衝動を特有なリビドー[#「リビドー」に傍点]と考えるに存する。リビドーとは愛の衝動であり、又自己保存(栄養摂取)の衝動と結び付ければ、自愛の衝動である。之こそ生[#「生」に傍点]の衝動なのである(フロイトは後に之を死[#「死」に傍点]の衝動に対立せしめた)。一切の精神の運動はこのリビドーを原動力として発動[#「発動」に傍点]する。精神の根柢は生物学的生命[#「生物学的生命」に傍点](〔Vitalita:t〕)にある。意識とはかかる精神のリビドー的実質が、社会的強制によって強制され変容されたものに他ならない。精神に対するこの社会的強制の云わば余波が、一方に於ては多くの精神症の症状となり、他方に於てはそれが昇華[#「昇華」に傍点]して文化形態[#「文化形態」に傍点]となる、と考えられるのである。――それであるから、文化形態――イデオロギー――は、或る意味に於て社会的強制の所産であるが、従ってフロイトによれば、夫は又精神症の対応物に外ならないものなのである。かくて、フロイト主義によれば、イデオロギーは専ら精神病理学的[#「精神病理学的」に傍点]に分析されねばならぬものとなる。
フロイト主義に於ける社会人の心理乃至イデオロギーの有つ関係は略々こうである。A・コルナイは仮にこのような見地に立って記憶すべき研究を与えた*。彼――必ずしもフロイト主義者ではなく後にはその反対者にさえなったが――によれば、フロイト主義精神分析は、個人[#「個人」に傍点]から出発する、それは個人からの類推[#「類推」に傍点]として社会を理解する仕方である。個人に於ける夢[#「夢」に傍点]は社会に於ける神話[#「神話」に傍点]に、個人に於ける神経症[#「神経症」に傍点]は社会に於ける宗教[#「宗教」に傍点]に、又個人に於ける妄想狂[#「妄想狂」に傍点]は、社会に於ける哲学体系[#「哲学体系」に傍点]に、対応せしめられる。無政府主義と共産主義との関係は、早発性痴呆症と妄想狂との関係として理解される。そしてかかる精神症的特徴は無論かのリビドー――エロス
前へ
次へ
全189ページ中158ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
戸坂 潤 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング