u社会」に傍点]と等価物であり、之に反して無意識[#「無意識」に傍点]の――少くとも抑圧されたる――一部分は非社会性[#「非社会性」に傍点]を有っている、と云っていい。
無意識に関してフロイトはエス[#「エス」に傍点]と自我とを区別する。前者は人間の精神の内にある非人格的な・生物学的な・深みを云い表わし、後者はこのエスの表面にあって、外界からの刺戟に対する抵抗壁の役割を有つ。エスは無意識であってその一部分がかの抑圧された無意識であり、自我はかかるエスの他の一部分を占めていてその限り無意識にぞくする。自我は併し、それだけではなく同時に前意識をも亦包括している。無意識的なものが意識的になることを抑圧するものは、とりも直さずこの自我なのであった。――抑圧の動力は、だから、自我に、個人に、存する。処がなぜ個人の自我は自分の精神にかかる抑圧を加えねばならなかったか。夫は他でもない、個人が単なる個人でなくて社会的[#「社会的」に傍点]存在でなければならぬからなのである。抑圧は個人の社会的存在の関数である。社会的存在とは併し、観念的なものとしては、社会秩序から来る命令・禁止の他ではない。で自我は、このような命令・禁止を自分の規範とせねばならない負担を有っている。この場合の理想的自我はフロイトによれば自我理想[#「自我理想」に傍点]・超我[#「超我」に傍点]と名づけられる。超我の大部分も亦無意識にぞくする。――かくてエス・自我・超我の区別も亦、社会的なものの干与によって初めて与えられることを、今注意しておかねばならぬ。
意識・無意識の構造を有つ個人の精神は併し、衝動[#「衝動」に傍点]をその実質としている。衝動は欲望を充たすことによって快を得る。精神は快を追い不快を避ける本質を有つ、欲望の実現[#「実現」に傍点]が精神の根本傾向なのである(快感の原理[#「快感の原理」に傍点])。処が、この欲望は事実上必ずしも実現され得るとは限らない、否多くの欲望は抑圧され、多くの欲望の満足は延期されるのが事実の常である。それが是非とも実現され得るためには、これ等の欲望の直接な満足の代りに、その代用物の満足が求められることになる(実現の原理[#「実現の原理」に傍点])。――処でこのようにして、衝動乃至衝動の遂行を抑圧するものは他でもない社会の強制力であった。社会は自我を通じて、衝動を抑圧しそして
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