煤u社会的意識」に傍点]――尤も之は社会に就ての意識や社会が持つ意識とは限らない――でなくてはならない。吾々の社会概念による社会[#「社会」に傍点]が、実質的に結び付くことの出来る処の意識[#「意識」に傍点]は、何かこのようなものとして理解されねばならないのである(第一章参照)。
 さて、マルクス主義乃至唯物史観による、社会と意識との関係は、既にプレハーノフによって一応定式化せられた。社会構造に於ける基底から上層建築[#「上層建築」に傍点]への展開は、彼に従えば、
[#ここから2字下げ、折り返して3字下げ]
一、生産力の状態、
二、この状態に制約された経済関係[#「経済関係」に傍点]、
三、与えられた経済的「地盤」の上に生じる社会的政治的秩序[#「政治的秩序」に傍点]、
四、一部分は直接に経済によって、一部分は経済の上に生じる社会的政治的全秩序によって、規定された、社会人の心理[#「社会人の心理」に傍点]、
五、この心理の諸特徴を反映する処の様々の諸観念形態[#「諸観念形態」に傍点](イデオロギー)、
[#ここで字下げ終わり]
の順序に従って行なわれるというのである*。併し今注意しなければならないのは、第一に、ここで観念の形態=イデオロギーと呼ばれるものは、云わば客観的に見出される文化現象を意味するのであって、必ずしも意識の一定形態――意識形態――を意味してはいない・ということである。意識形態という意味でのイデオロギーは彼によれば寧ろ、今社会人の心理[#「社会人の心理」に傍点]と名づけられたものに相当する。事実彼は、同一の意識形態[#「意識形態」に傍点]も、文化領域の異るに従って様々の観念形態を取らねばならぬということに就いて、力を極めて説いている。では第二に、この社会人の心理とは一体どういうものであるか。それは社会人の心理であるのだから、単純に個人心理――個人の意識――でないことは明らかであるが、では個人心理と夫とはどう関係するのであるか。このイデオロギーは社会心理[#「社会心理」に傍点]とでも云うべきものであるのか。そうすれば社会心理とは何であるか。プレハーノフはこの点に就いて、余り問題を見出してはいないように見える。彼にとっては、恰も先に吾々が試みようとした意識概念の変革は、全く無視されて了っているか、そうでなければ何時の間にか解決済みになっているように見える
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