`ャのイデオロギーではなかったか。インテリゲンチャこそは非イデオロギー的――超階級的――であると云うであろうか。併し彼はそう宣言することによって、単にブルジョアジーのイデオロギーに一致するまでのことである。――問題はかのわが国でも暫く前から有名になったインテリゲンチャ論に帰着して行くようである。
 階級は階級対立の観念的な否定[#「観念的な否定」に傍点]によっては止揚されない、それと全く同じに、イデオロギーはイデオロギー対立の社会学的な媒介[#「社会学的な媒介」に傍点]によっては止揚されない。イデオロギー一般を止揚し得るものは、或る一定のイデオロギーのみである、否そのような一つのイデオロギーを産む実践的な地盤だけである*。
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* A. Fogarasi も亦吾々と殆んど同じ仕方によってマンハイムの Ideologie und Utopie を批判した(Unter[#「Unter」は底本では「Uuter」] dem Banner des Marxismus, 1930. 3)。――なお K. A. Wittfogel, Wissen und Gesellschaft (Unter dem Banner des Marxismus, 1931. 1) を見よ。
[#ここで字下げ終わり]
 マンハイムのイデオロギー論は、歴史的原理[#「歴史的原理」に傍点]としての階級を除外することによって、イデオロギーの真偽を判定する論理的[#「論理的」に傍点]な原理を放擲する。――茲でも亦、歴史[#「歴史」に傍点]の否定は論理[#「論理」に傍点]の問題を無視せしめる結果を伴っている、それを人々は重ねて思い起こさねばならぬ。
 吾々は最後に云うことが出来る。知識社会学が、論理[#「論理」に傍点]の問題を実質的に――真偽価値対立[#「真偽価値対立」に傍点]の問題として――提出し得るためには、それは知識のイデオロギー論の形にまで行かねばならなかった。併しこのイデオロギー論がこの理論の問題を解き[#「解き」に傍点]得るためには、それ自身がイデオロギー的性格を持ってかからねばならぬ。それは階級性を有たねばならず、又持つことを自覚しなければならない。そしてこの段階は歴史的原理[#「歴史的原理」に傍点]の承認の程度に相応するのである。だから、知識社会学であり
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