、歴史の或る一時代に就いて精神上の・体系としての・諸立場を求め、次に之を夫々の世界観――形而上学的予想――の生きた根幹にまで溯源せしめ、第三にこの世界観を経営する世界観的な意志にまで之を帰属せしめ、第四に之を相抗争しつつある精神層に対応せしめる。そうして初めて第五に、この精神層が夫々どのような社会層――階級――に裏付けられているかを見ることになるのである**。
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* Mannheim, Ideologie und Utopie にこの点は詳しい。なお彼の一般的な立場に就いては “Historismus”[#「“Historismus”」は横組み] を見るべきである。
** Mannheim, Das Problem einer Soziologie des Wissens. S. 642―652.
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このように計画された認識社会学――イデオロギー論――が、知識社会学の他の場合とは異って、政治[#「政治」に傍点]乃至政治学[#「政治学」に傍点]と直接の連がりに置かれることは、容易に想像されるだろう。このような知識社会学にして初めて、理論[#「理論」に傍点]と実践[#「実践」に傍点]との関係を、従って理論と歴史との関係を、問題らしいものとして取り上げることが出来るだろう。今まで述べて来た他の知識社会学は然るに、そうではなかった*。
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* “Ideologie und Utopie”[#「“Ideologie und Utopie”」は横組み] は政治学が科学として如何にして可能であるか――理論と実践との問題――を問題にしている(S. 67 ff.)。ユートピアはそして、常に政治的な関心の下にのみ生れた。因みに、マンハイムによれば、存在が観念を通り越したのがイデオロギーであり、之に反して、観念が存在を通り越したのがユートピアである。
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さて、こう云って来ると、マンハイムのイデオロギー論は、マルクス主義的イデオロギー観の、マンハイム的名辞を用いた、一つの展開であるかのように見えるかも知れない。けれども、この外貌上の・個々の・一致にも拘らず、その根本的な性格に於て、之は全く反マルクス主義的であるだろう。尤も、それには何の不思議もなかった筈だ
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