ホ応する特定の観念体系だと云うだけではなくて、そうであるが故に絶対的には夫が真理性[#「真理性」に傍点]を有ち得ないものだ、ということが示されている。A→B→Cの構造の分析によって、真理価値[#「真理価値」に傍点]の問題が――イデオロギー論として――一応解明されることとなる。A→B→Cは今や論理学的[#「論理学的」に傍点]構造をも意味して来るわけである。であるからパレートは、非論理的行動を分析する点に於て、実は当然のことではあるが、論理[#「論理」に傍点]の構造を問題としていたということを注意しよう。それは、非論理的行動[#「行動」に傍点]の分析という、とにかく実践的[#「実践的」に傍点]な原理を用いた結果に外ならなかった。かくて実践的原理の適用は論理[#「論理」に傍点]の問題を惹き起こす。このような事情はシェーラーなどにはなかった。
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* 吾々が容易に連想するものは、リボーの『感情の論理』である。之は恐らく一般に、フランスの Moralistes 達の問題の一つであったと思われる。
** この合理的被覆を施すためには、必ず言葉――それが又論理であるが――を必要とする。それ故言葉は元来イデオロギーの性格を有っている。言葉は実際、この意味で言葉通りに修辞的であると云うことが出来る。修辞のイデオロギー性を明らかにしたのは、人間学の始めと称せられるアリストテレスの De Rhetorica であった。そこでは単なる論理的三段論法の代りに、政治的な修辞的三段論法とも云うべき Enthymema が分析される。
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だがこのように規定されたイデオロギーの概念はまだ甚だしく不充分であることを見ねばならない。観念の就中階級性格を有つものが優れた意味でのイデオロギーでなくてはならない、イデオロギーは政治――この歴史的原理――に関する。処でパレートにあっては、イデオロギーは単に主観的な政策[#「政策」に傍点]であって、歴史的な政治[#「政治」に傍点]的性格を有つ理由はまだ何処にもなかった。イデオロギーの論理的性質は、であるから、至極表面的なものに止まらざるを得なかったことは当然である。実際パレートは、どのようなイデオロギーがより虚偽であり又はより真理であるかを吾々に説明しない。どのイデオロギーも単に一個のイデオロギーと
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