Vェーラーなどには欠けている一つの原理であった。
恰も前に、知識の歴史的[#「歴史的」に傍点]規定が限定されて行けば行く程、同時に知識の論理的[#「論理的」に傍点]規定が愈々限定されて行く、と云ったことに相応して、今、知識の実践的[#「実践的」に傍点]規定が同時に知識の論理的[#「論理的」に傍点]規定を意味するだろうことは、そうありそうなことである。実際、その関係は彼に於て、次のような形で現われる。
[#ここから2字下げ]
(A)を人間の内部的な心理状態[#「心理状態」に傍点]とする、之は歴史の一切の変化を通じて不変な人間固有の常数である。之は云うまでもなく論理的ではない処の、非論理的な残留物[#「非論理的な残留物」に傍点]である。
(B)は(A)に基く処の、外部的な行動の過程[#「行動の過程」に傍点]であるとする。
(C)をそして、かかる(B)の、言葉=論理による是認[#「是認」に傍点]・理由づけ[#「理由づけ」に傍点]・権利づけ[#「権利づけ」に傍点]であるとしよう。
[#ここで字下げ終わり]
そうすれば、前の所謂、非論理的行動[#「非論理的行動」に傍点]は必ずA→B→C(又は結局同じことに帰着するがA→C)という構造を、それの単位とするものである。と云うのは、人々は先ず第一に一定の意識(A)を持つことによって、第二に之に基いて行為し(B)、自己のこの行為を第三に合理化・正当化す(C)、という順序によって、その行動[#「行動」に傍点]――之が非論理的なのである――を終結することが出来る*。さてこの(C)が恰もイデオロギーに相当する処のものである、蓋し(C)は(B)乃至(A)の云わば上層建築に相当するのであるから。社会生活に於てはたとい絶対的なもの・真なるものと考えられるものでも、実は常に、様々な知識内容をば情意に基いた或る一つの連関にまで結合する処の、人間の本能の結果の外ではない。それはこの意識内容に対して、単に後から遅れ走せに、合理的な整合と正当性との外観を与えるための、導来物・合理的被覆でしかない、と考えられる。之がイデオロギーに相当する理由であった**。で、そうすれば茲では、真理の外観[#「真理の外観」に傍点]を有つ処の、併し必ずしも真理ではないもの[#「真理ではないもの」に傍点]としての、観念体系=イデオロギーが問題になっている。之は単に特殊な立場に
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