#ここから2字下げ、折り返して3字下げ]
* M. Scheler, Probleme einer Soziologie des Wissens. (Versuch zu einer Soziologie des Wissens, S. 55.) ――この論文は一つの重大な増補と共に、後に、Die Wissensformen und die Gesellschaft に載っている。
** 〔U:ber d. positiv. G―Phil. d. W., S. 35.〕
*** Probleme einer S. d. W., S. 24 ff.
[#ここで字下げ終わり]
 コントの根本的な誤謬は、シェーラーに依れば、事実上分化の過程[#「分化の過程」に傍点]に過ぎないものを、彼が時間上の発展段階[#「発展段階」に傍点]と思い誤った処に横たわるということに帰着する。
 さて吾々は、以上述べたシェーラーの批評を批評することによって、吾々の理論を始めよう。
 まず第一に注意せねばならぬ点は、シェーラーが実証主義に対して与える殆んど予言者的な否定である。三種の知識が時間上の段階をなすのでなくて同一物からの――同時存在的な――分化にすぎないという主張は、一応、実証主義的な偏極に対する公平な或は寧ろ折衷的な訂正であるかのようにも見えるが*、実は、之によって実証主義[#「主義」に傍点]に対して宗教――及び形而上学――を保護しようとする処の、云わば護教学的な形而上学主義[#「主義」に傍点]が云い表わされているのを見逃してはならない**。実証科学は生物的な人間の目的に仕えるための知識にしか過ぎない。宗教と形而上学とこそ homo sapiens に固有な貴重な「専売」物なのである。彼はそう云って権威あるものの如く説く。中にも彼によって考え出された処の[#傍点]最高の知識としての宗教[#傍点終わり]の生れながらの随喜者 homo religiosus は、ネアンデルタール人にもクロマニヨン人にも到底見出されなかったであろうことは確実である。彼は「科学主義者」コントに対する「信仰主義者」――僧侶主義者――として、自己を高めようと欲する(それ故にこそシェーラーによって初めて真の知識社会学は開始されなければならなかったわけである)。併しこの[#傍点]最高の知識としての宗教[#傍点終わり]な
前へ 次へ
全189ページ中115ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
戸坂 潤 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング