其他)。
*** 知識社会学が社会学一般の成立の動機をなしたのは、単にコントの場合ばかりには限られない。ドイツではフィヒテやシュライエルマッハーに於てそうであったと云われる(〔K. Dunkmann, Soziologische Begru:ndung d. Wissenschaft. ――Archiv f. systematische Philosophie und Soziologie, Bd. 30〕 参照)。
[#ここで字下げ終わり]
併し、コントの実証主義、コント的プロレタリア科学は、実は、ブルジョアがプロレタリアに教える処の「プロレタリア科学」である。実証主義的社会学はかくて、ブルジョア即ちプロレタリアという不思議な「階級性」を担っている*[#「*」に対応する注記が底本では欠落している]。併しこのプロレタリアが実は同時にブルジョアと同じ階級性を有つのであったから、この平和なる「第三身分」はかの有名な「人類」――而もキリスト者――である外はなくなるであろう。であるから、わがプロレタリアは、階級性を担うその瞬間に、もうすでに超階級的な人間性となって了うわけである。社会学はブルジョア的階級性――それがコントではプロレタリア的階級性と考えられる――を持つ瞬間に、階級性一般を失う。その限り、社会学は階級性を有ちそして[#「そして」に傍点]有たない(無論貴族や僧侶との階級的対立はすでに過ぎ去っている)。之は云うまでもなく全く不合理[#「不合理」に傍点]でなければならないだろう(尤もかかる不合理の成立はコントの時代の政治的条件によって合理的に説明されるのではあるが)。社会が、歴史的社会的存在が、単なる社会・社会一般・超階級社会である限り、そして「社会学」なるものが人々の云うようにこのような単なる社会的存在一般[#「一般」に傍点]の学である限り、社会学は合理的となり得ない。実際ここでは、社会学は成立しそうに見えながら成立出来ない。社会学は一切の科学の総合であり一切の科学の王でありそうで、一切の科学の食客である。全く社会学は自己矛盾的存在とならねばならぬだろう。
総合社会学のこの不合理性は、社会学に思い切って階級性[#「階級性」に傍点]――その歴史的・政治的・原理――を与えるか、又は思い切って初めから之を拒むか、の二つの道によってしか合理化され得ないということが、こ
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