カ明の概念から区別されることによって、まず第一に、如何に審美的[#「審美的」に傍点]――又ロマン派的[#「ロマン派的」に傍点]――性格を与えられたかを。文化とは外でもない、感情[#「感情」に傍点]による象徴的影像[#「象徴的影像」に傍点]の外ではないのである。それは生物的生命の存続などにとっては過剰物[#「過剰物」に傍点]である、否それだけではない、吾々が生活の全形式を、生活の全根本原則を、そのためには犠牲にしても構わないような、何か高貴的な芸術作品[#「芸術作品」に傍点]の如きものなのである。実際彼によれば、文化の内容には二つの側面しかない、人格が世界を自己の内に取り入れるという側面と、反対に人格が世界形象の統一を構成するという側面と。後者はイデーであり前者が即ち芸術作品[#「芸術作品」に傍点]である。後者は予言者[#「予言者」に傍点]のものであり前者が芸術家[#「芸術家」に傍点]のものである、と彼は考えるのである*。人々は云うまでもなく茲でシェリングの象徴詩的・審美的・――又ロマン派的――な哲学体系を連想しなければならない。処が第二にこのロマン派的理論は、おのずから、そのドイツ風な形而上学的[#「形而上学的」に傍点]・宗教的[#「宗教的」に傍点]・背景を示さずにはおかない。その時文化は、正にかのドイツ民族風の、形而上学的・宗教的な本質を暴露しなければならないのである。そこでヴェーバーは文化を定義して云っている、「吾々の形而上学的存在が有つ統一への意志が、吾々自身の内面的存在の全体性と外界で之に対立している全体性とに向けられる時、この統一への意志が創造するもの、即ち又、人格性と世界との総合を現わすもの、之が文化であり文化的作意である」と**。文化は全体者[#「全体者」に傍点]であり、永遠者[#「永遠者」に傍点]を意欲し、常に新しき絶対者である、夫は全世界の最深の奥義[#「最深の奥義」に傍点]である。処でかかる世界の形而上学的な奥義は、宗教的世界観に於ては、恰も神[#「神」に傍点]と呼ばれるものに相当する。単なる事実的存在の世界からの救済[#「救済」に傍点]こそ、文化の使命である、文化は人類の運命[#「運命」に傍点]なのだ、彼はそうつけ加えることを決して忘れない***。
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* 以上は Ideen, S. 40―42 を見よ。
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