l格」に傍点]の感情[#「感情」に傍点]の所産であった。そこでは生命感[#「生命感」に傍点]が、愛[#「愛」に傍点]が支配する。だからもはやそこには、論理的な・因果的・直線的・積堆的な・進歩も進化もない。文化は夫々の時代の一定の定位[#「定位」に傍点]の範囲を限って、その範囲内で作用を有つことが出来るだけである。文明が時代と共に進歩しても、文化は――哲学体系・宗教・芸術等を考えよ――別に進歩するものではない、ただ夫が異った時代の定位に移って、異った作用を有つようになるという迄である。この意味に於て文化は一遍々々完了[#「完了」に傍点]するものであり、一回的[#「一回的」に傍点]なものである。文化には没落や静止、劇変や改革や復興があるだろう。併し夫には何等の方向[#「方向」に傍点]も目的[#「目的」に傍点]もない。だから文化は、本来[#「本来」に傍点]発見と呼ばれるような働きをする筈がない(発見 Entdecken とは既にあるものを単に顕わにすることに外ならない)。文化は常に創造でなければならぬ、文化は発出[#「発出」に傍点]・エマネーションである。で、こういう謂わば自由な詩的象徴の世界で人々は、文化の発展の段階[#「段階」に傍点]の代りに、高々文化の成功不成功・高低・の時代区別をし得るに過ぎないだろう。尤も一見無規則に見える文化のこの運動にも、一定の週期性[#「週期性」に傍点]とリズム[#「リズム」に傍点]とを見出すことは出来る。吾々は諸文化状態を類型化すことが出来るからである。――文化の世界は普遍妥当的・必然的・な客観界ではない、実際それは文明とは異って、人間の物質生活の目的に役立つような合目的性も実用性も有っていない。それは却って反目的的[#「反目的的」に傍点]でさえあることが出来る。そこでは何の技術手段も提供されない、夫は単に、感情の象徴[#「感情の象徴」に傍点]が夫々異った配列に於て並存している処の世界に過ぎないのだ、とそうヴェーバーは主張する*。
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* 以上は Prinzipielles, S. 22, 25, 28, 29, ……及び Ideen, S. 34, 40, 42, 46, 54, ……を見よ。
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 もはや読者は気付いただろう、アルフレッド・ヴェーバーによる文化の概念が、夫が
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