ェ離析出することが出来る。文明過程――数学的・自然科学的・及び技術的・知識などが之にぞくするプロパーなものであるが――の運動形態の特色は、文化の動向と異って、合理的[#「合理的」に傍点]・主知的[#「主知的」に傍点]であることを見ねばならぬ。と云うのは、夫は因果的[#「因果的」に傍点]・機械的・な過程として展開し、論理的[#「論理的」に傍点]・普遍妥当的[#「普遍妥当的」に傍点]・必然的[#「必然的」に傍点]な継起を有つ。だからそこでは、展開の夫々の点に就いて、例えば正不正[#「正不正」に傍点]というような論理的価値標準をあて嵌めることも出来る。と云うのは、文明の運動は、その内容の正当ならぬモメントが排除されて正当なモメントだけが残ってゆくように行われると云うのである。文明過程は云わば直接的[#「直接的」に傍点]・積極的[#「積極的」に傍点]な進歩をなす。多くの実証主義者が信じた通り、――コントとスペンサーはヴェーバーの好敵手である――、文明の運動過程は進化[#「進化」に傍点]なのである(所謂進化理論はただこの点にのみ当て篏まる)。こういう運動法則に従う文明の世界には、人間の――物質的――生活の一定の目的に役立つべく存在を変容し形成する処の、技術手段[#「技術手段」に傍点]が与えられている、之は合目的的[#「合目的的」に傍点]・実用的・な領域である。こう云ってヴェーバーは文明を特色づける*。
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* 以上は Prinzipielles, S. 11, 12, 21, 23, 29, 42, ……及び Ideen, S. 3 ……を見よ。
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 併し精神的・文化的・であるべきであった歴史の過程を、一概にこの文明[#「文明」に傍点]の概念によって律しようとすることは、ヴェーバーによれば進化論者[#「進化論者」に傍点]・実証主義者[#「実証主義者」に傍点]の根本的迷蒙である。それは人間の精神的存在[#「精神的存在」に傍点]の単なる半面をしか知らない者の考えに過ぎない。彼等は文化[#「文化」に傍点]の概念を少しも理解していない。処が文化こそ優れて精神的・歴史的・な精髄でなくてはならなかった。
 文化は文明と異って、非合理的[#「非合理的」に傍点]である、それは知性[#「知性」に傍点]の所産ではなくて全人格[#「全
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