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* Ideen, S. 48.
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かくて狭義に於ける精神・文化・歴史は、「社会過程」の床の内に横たえられる。否、社会過程そのものがすでに、人間の自己発動的な自然的衝動力や意欲の力を、社会的な一般形式にまで齎すものに外ならないから、それだけですでに――生物学的なものに対しては――歴史的だとも考えられねばならない。即ち又それ自身すでに――広義に於て――精神的・文化的でなければならないのである。で、一切の歴史内容が凡て、この社会過程[#「社会過程」に傍点]の床の内に横たわると考えられるのは、至極尤もである。――処でそれにも拘らず、この全歴史的過程の内から更に又特に精神的・心的・である処の過程だけを、抽出することが出来るだろう。そこで彼は云っている、吾々の心からは「完全に異った二つの世界」が造り出される、第一は知識的な直観や概念や思考から生じる処の客観的・普遍的・非人格的な世界であり、第二は感情[#「感情」に傍点]を地盤として生じる処の個性的・具体的・人格的な世界である。前者は単なる知能に対応し、之に反して後者は生活全体の歴史的運命を反映する*。ヴェーバーによれば前者は「文明過程」であり、後者が「文化の運動」と名づけられる処のものである。――で吾々は今や三つの範疇を得た、「社会過程」・「文明過程」及び「文化動向」。そして後の二つは、第一の社会過程の床の内に横たわっているわけである。尤もこの三つのものは事実としては決して別々に独立しているのではなく、ただ吾々が観念に於て之を分離して表象出来、又そうする必要がある、と云うまでである。実際文化社会学は、この三つのものを夫々区別することによって、却って初めて三者の間の相関的な交互の動的連関を捉えることを企てる。
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* Ideen, S. 33.
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さてヴェーバーの文化社会学に於て最も特色のあるものは、その特有な文化概念、従って又文明過程[#「文明過程」に傍点]と文化運動[#「文化運動」に傍点]との厳重な区別、である。
同じく社会過程の内に横たわりながら、文明過程と文化動向とは、彼に依れば、全く異った展開法則[#「展開法則」に傍点]に従う。二つは夫々に特有な法則性と作用とを示すなら、一定の認識目的の下では二つのものを判然と
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