ェ出来る。文化的[#「文化的」に傍点]ということはとりも直さず精神的[#「精神的」に傍点]ということであり、又心的[#「心的」に傍点]ということである。処で文化乃至精神は主として生物学的なものに対立せしめられて考えられる、その意味では国家や法律さえが、生物学的形象であってまだ文化ではない*。であるから、歴史の固有に歴史的なものは、例えば人間の生物学的な衝動や意欲の作用などの内にあるのではなくて、それに対立する真に歴史的なモメントである処の、「固有に文化的な部分」、「純粋に精神的なるもの」の内に横たわらねばならない**。文化社会学は、一般に文化の、即ち又一般に精神の、科学である。だから夫は、とりも直さず、固有に歴史的なるものの科学に外ならない。文化社会学は(形式社会学や其他のものと反対に)、一つの歴史理論[#「一つの歴史理論」に傍点]――そしてこの歴史の性格が即ち文化・精神であった――なのである。
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* Alf. Weber, Ideen zur Staats− und Kultursoziologie (1912―1927) S. 45 ――之は Der soziologische Kulturbegriff, 1912 という論文を含む。
** Alf. Weber, Prinzipielles zur Kultursoziologie, S. 9―11.
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 だが文化社会学は単なる歴史学ではない、もしH・リッケルト等に従って、歴史学が個々[#「個々」に傍点]の歴史的事件を叙述するものであるなら、文化社会学は、歴史的事件の間に一定の規則性[#「規則性」に傍点]を見出すものでなければならない、それは「歴史的・社会的・な Konstellation」に立って歴史内容を処理する。元来歴史の個別性[#「個別性」に傍点]と規則性[#「規則性」に傍点]とは、所謂方法論などが仮定するように相互に反撥するものではない。両者の間には完全に現実的な、物的に捉え得るような、連絡が横たわっている。だから歴史学が歴史学であるためにも、夫はもはや単なる歴史学に止まることは出来ないだろう、歴史家は同時に「社会学者」でもあることを必要とする。歴史学は「歴史社会学」になるのでなければ、歴史理論[#「理論」に傍点]となることが出来ない
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