n。――だが「社会学」は如何なるものとして終る[#「終る」に傍点]だろうか。
[#ここで字下げ終わり]
之がドイツ社会学乃至社会科学の、歴史哲学[#「歴史哲学」に傍点]からの発生であるが、さて、(ドイツの)文化社会学[#「文化社会学」に傍点]は、こういうドイツ「社会学」――夫はL・v・シュタインの系統にある――にぞくする一つの特殊な場合に外ならない。之がマルクス主義的「社会科学」――吾々は邦語によって之を社会学[#「社会学」に傍点]から区別出来る――の系統にぞくさないことは、初めから明らかである。なぜなら、マルクス主義的社会科学は、ドイツから始まったにも拘らず、そして今日に至るまでドイツに於て比較的多くの支持者を持っているにも拘らず、決してドイツ的[#「ドイツ的」に傍点]ではない――現に人々は之をユダヤ的とさえ云っているではないか――、処がわが文化社会学は、恰も之に反して、ゲルマン民族的・ドイツ国民的であることを忘れなかったのだから。文化社会学は真正な[#「真正な」に傍点]「社会学」である、それはその後のドイツ社会学を代表するものであった――前を見よ。だからわが文化社会学も、ドイツ社会学一般と同じに、――吾々は繰り返そう――歴史哲学によって精神的[#「精神的」に傍点]なものと考えられたものをば、社会的見地から取り扱うということから始まる。ただこの場合かの精神的なるものが、特に文化[#「文化」に傍点]という概念によって特色づけられるというまでである。で今歴史哲学が精神の哲学[#「哲学」に傍点]・文化の哲学[#「哲学」に傍点]であるならば、わが社会学は、精神の社会学[#「社会学」に傍点]・文化の社会学[#「社会学」に傍点]でなくてはならないというわけである。
[#3字下げ]二[#「二」は小見出し]
文化社会学としての[#「としての」に傍点]文化社会学は、アルフレッド・ヴェーバー*から始まる。
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* 彼の文化社会学の最も簡単な叙述は [#横組み]〔Handwo:rterbuch der Soziologie (A. Vierkandt) S. 284, “Kultursoziologie”〕[#横組み終わり] の内にある。
[#ここで字下げ終わり]
ヴェーバーによれば、歴史とは元来「精神的・文化的・諸階層」に分たれること
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