ナもよく学んだこのヘーゲル学徒は、併しまだヘーゲルの充分な批判者ではあり得ない。彼は必ずしも社会を国家の上に置こうとはしなかった、処がそうしない限り、実はヘーゲルのアンチテーゼにもジュンテーゼにも立つことが出来ない。――ヘーゲルに於ける国家と社会との地位を全く逆転したものこそ、同じくフランス社会主義及び共産主義の最も優れた理解者であったヘーゲル学徒マルクスである。今や社会は階級[#「階級」に傍点]対立の社会として、そして国家は支配階級[#「階級」に傍点]の機関として、全く両者の間の秩序を新しくする。社会――階級――は、国家(嘗て夫は民族[#「民族」に傍点]であった)の上に位する。国家・民族の問題は、社会・階級の問題へ、展開することによって、初めて具体化[#「具体化」に傍点]され止揚[#「止揚」に傍点]される、即ち解決されるのである。
ヘーゲルの哲学を足場として、(ドイツに於ける[#「ドイツに於ける」に傍点])ブルジョア社会学[#「ブルジョア社会学」に傍点]と、([#傍点]もはや単にドイツのものではない処の[#傍点終わり])マルクス主義社会科学[#「マルクス主義社会科学」に傍点]とが、始まった。二つのものに共通な点は要するに、国家という範疇を、ヘーゲル的体系の内で占める高みから引き降したという処に横たわる(序に人々は今の場合、ラサールの国家理論の有つ歴史的意味がどう評価されねばならぬかを見るが好い*)。だが之は直ちに、ヘーゲル哲学体系そのもの――そしてその特色はヘーゲルの歴史哲学[#「歴史哲学」に傍点]によって代表される――の変革を意味することを注意せねばならぬ。ヘーゲルの精神の哲学をば、即ち神的理性・イデー・の自己発展としての精神の体系をば、より現実的[#「現実的」に傍点]・物質的・社会的・なものの地盤の上で建て直おすことから、これ等の社会理論は始まるわけである。吾々は之を簡単にそして一般的に次のように言い表わそう、――歴史哲学によって精神的[#「精神的」に傍点]なものと考えられるものを、社会的[#「社会的」に傍点]な見地から取り扱うということの内に、社会学乃至社会科学の始まりがあったのだと。
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* 社会学は凡て、コントでもそうであったが、Oppositionswissenschaft として始まった[#「始まった」に傍点
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