ナあり地盤であった哲学は、外でもないヘーゲルの哲学、中でも当然、その法律哲学――夫が国家という範疇を通じてヘーゲルの歴史哲学[#「歴史哲学」に傍点]と最も直接に結ばれている――であった。ヘーゲルの法律哲学に於けるかの Sittlichkeit の根本秩序によれば、血縁によって結ばれた家族[#「家族」に傍点]の上に、私有財産のアトミスティークたる市民[#「市民」に傍点]「社会[#「社会」に傍点]」が、そしてこの社会の上に神的イデーの地上の実現である国家[#「国家」に傍点]が、君臨する。すでにホッブスやルソーなどによって、単純に自然法的にそして前理論的にしか把握されていなかったものを、その哲学的本質に従って、市民社会[#「市民社会」に傍点]として、歴史的発展の契機として、理論的に範疇化したということ、社会概念[#「概念」に傍点]のこの哲学的発見、之は今の場合、ヘーゲルの何よりもの功績であった。だがそれにも拘らず、茲で見出されたこの社会[#「社会」に傍点]は、ゲルマン民族的な、否文明の遅れた封建プロイセン王国的な(当時ドイツ人は啓蒙された資本主義的フランスをどれ程「外国崇拝」したか、そしてそのフランスが又如何に熱心にイギリスの工業を模倣しようとしたかを見よ)、国家[#「国家」に傍点]の概念に、従属しなければならなかった。ヘーゲルによって社会は国家から独立した、が夫はなお国家に隷属[#「隷属」に傍点]している。でそこにはまだ独立な社会の学[#「社会の学」に傍点]はあり得ない*。――社会の学は、社会学乃至社会科学は、だから、社会[#「社会」に傍点]の地位を国家[#「国家」に傍点]の地位に対して高めることから始まらねばならない。そこにシュタインとマルクスとがある。
[#ここから2字下げ、折り返して3字下げ]
* もう少し後の時代になっても、社会学は独立の学として容易には認められなかった。H・トライチュケの著書 Die Gesellschaftswissenschaft はこの点に関する有名な資料である。
[#ここで字下げ終わり]
 シュタインはヘーゲルと異って、国家と社会とを、互格な相互作用に於てあるものとして、両者を斉しく人間共同体[#「人間共同体」に傍点]の概念の内に吸収した。国家秩序と社会秩序との矛盾抗争こそこの共同体の生命だと云うのである。フランス社会主義乃至共産主義を
前へ 次へ
全189ページ中87ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
戸坂 潤 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング