u精神」に傍点]とドイツ民族(特にユダヤ人排撃)とドイツ文化[#「文化」に傍点]とへの努力を約束する。そのためには「社会主義」などはどうなっても好い。
[#ここで字下げ終わり]
 処で、こうした精神[#「精神」に傍点]と文化[#「文化」に傍点]とを根本概念としている文化社会学[#「文化社会学」に傍点]が、特にゲルマン的・ドイツ民族的[#「ドイツ民族的」に傍点]・な社会学であることは、至極当然なことではないだろうか。――処が更に、文化(Kultur)が、単に主体的な教養[#「教養」に傍点]や訓練[#「訓練」に傍点]を意味しないと同じに、精神(Geist)は、単に主観的な意識[#「意識」に傍点]や心理[#「心理」に傍点]を意味するのではない。社会や国家というような――ヘーゲルの言葉を用いるならば道徳的[#「道徳的」に傍点]な或いは寧ろ習俗倫理的[#「習俗倫理的」に傍点](Sittlich)な――実体が、取りも直さず客観的[#「客観的」に傍点]な精神に外ならなかった。だから、文化は無論のこと、精神も亦元来、歴史的[#「歴史的」に傍点]な特色を持っていなければならないのである。で文化社会学が、元来一般に歴史哲学に基く筈の社会学を代表するということは、即ち又、それが直接に歴史哲学(例えば歴史主義其他)に由来し又その上に立つことを意識しているということは、甚だ当然なことではないか。

 文化社会学――夫はドイツを故郷とする――は、(ドイツの)歴史哲学[#「歴史哲学」に傍点]から発生した。その歴史的な由来から云っても、それは多分に、謂わばドイツ風に哲学的[#「哲学的」に傍点]であり且又歴史的[#「歴史的」に傍点]である。だから文化社会学は、文化哲学[#「文化哲学」に傍点]と呼ばれるものに極めて近いものであったり、又歴史社会学[#「歴史社会学」に傍点]と呼ばれて好いようなものであったりすることが出来るわけである。――だが(ドイツの)歴史哲学から、どうやってわが文化社会学が発生したか、それをもっと具体的に説明しよう。――
 近世ドイツに於ては、無論様々な前社会学的又は前社会科学的な、社会理論が存在した。だが社会学乃至社会科学と呼ばれる科学が、所謂哲学から或る特定な意味で独立[#「独立」に傍点]したのは、L・v・シュタインとK・マルクスとからであったと云われる。その場合、此の科学の条件
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