ゥは、第五章を見よ。
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そこで今、注意しなければならないことは、文化[#「文化」に傍点]社会学は文明[#「文明」に傍点]の社会学ではなかった、それは例えばフランスのものではなくて本来ドイツのもの[#「ドイツのもの」に傍点]であった、という点である、なる程一旦文化社会学という概念が出来れば、之をフランスにでも、アメリカにでもイギリスにでも、ロシアへでもイタリアへでも日本へでも、適用することは出来る。それにも拘らずドイツのものは依然ドイツのものであり、ドイツに特有なものである。――一体、文化[#「文化」に傍点]という概念はドイツ固有のものだと考えられて好い、文化批判の哲学[#「文化批判の哲学」に傍点]や文化哲学[#「文化哲学」に傍点]やの故郷は、ドイツに於てしか見出せないだろう。精神[#「精神」に傍点] Geist の概念――之はドイツ人にとっては文化[#「文化」に傍点]の概念と切っても切れない縁がある――は併し、より一層ドイツ的である。それはゲルマン民族[#「ゲルマン民族」に傍点]の、或いはもっと正確に云えば、最も純粋な[#「純粋な」に傍点]ゲルマン民族ドイツ人の、本質としての、民族精神[#「民族精神」に傍点]の謂である*。ヘーゲルこそはゲルマーネン哲学の代表的な最後の組織者であったが(後を見よ)、恰も彼によれば、世界史はゲルマン民族の民族精神実現のための遍路に外ならなかった。その意識に於ける表現がそしてかの『精神[#「精神」に傍点]の現象学』だったのである。文化[#「文化」に傍点]の概念は、ゲルマン民族精神[#「民族精神」に傍点]と切っても切れない関係に置かれている。文化[#「文化」に傍点]と精神[#「精神」に傍点]とは(民族も入れていいが)全く一続きの範疇をなしている。
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* 愛国哲学者フィヒテの如きは、ドイツ語がラテン語から最も注意深く純粋に保たれているのを理由として、ドイツ民族が最も純粋なゲルマン人であることを証明する(Reden an die deutsche Nation ※[#ローマ数字4、1−13−24])――封鎖的商業国家のこの著者は、ドイツ・ファシズム(国家社会主義 Nationalsozialismus)の理論的先駆者の一人に数えられる。ヒトラーは、その党の綱領で、ドイツ精神[#
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