}ルクス主義的・社会科学は、(ブルジョア)アカデミズムとブルジョア・ジャーナリズムとに於ける――だがこの二つは無論結び付き合うことを忘れない――ブルジョア社会科学に対峙しているのである。夫がこのブルジョア・イデオロギーを克服して、プロレタリア・アカデミズムにまで自らを建設する日は何時であるか。――社会科学に於けるイデオロギー性=階級性の具体的状勢は大体こうである。
(吾々は以上、諸科学に就いて行って来たイデオロギー論を、同じ仕方によって、芸術・道徳・宗教へまで拡大して適用すれば好い。その基本的な機構と機構に沿うた理論の技術とは併し、この諸科学のイデオロギー論で尽きているだろう。吾々はいつか之を今云った文化全般[#「文化全般」に傍点]に及ぼす機会を持ちたいと思う。)
だが、も一つの重大な根本問題を忘れてはならぬ。吾々のイデオロギー論自身のイデオロギー性=階級性に就いて。吾々の――マルクス主義的――イデオロギー論は、マルクス主義哲学乃至マルクス主義社会科学の一部分である。観念・意識・文化、要するにイデオロギー、を取り扱う限りのマルクス主義哲学、乃至社会科学で之はあったのである。でそうすれば吾々のイデオロギー性=階級性に就いてはもはや説明を必要としない筈ではないか。イデオロギー論とは実は、階級の闘争のための観念的技術なのである(第二章を見よ)。
イデオロギー論と最も切実な関係に立つものは併し(ブルジョア)「社会学」である。吾々の云わば社会科学的[#「社会科学的」に傍点]イデオロギー論に対して、「社会学」は云わば社会学的[#「社会学的」に傍点]イデオロギー論とも云うべきものを対立させる。それには意識するとしないとに関係なく、深い階級的=イデオロギー的理由のあることだ。吾々は次に之等のものを批判しなければならない(第二部)。
[#改段]
第二部「社会学」的イデオロギー論の批判[#「第二部「社会学」的イデオロギー論の批判」は大見出し]
[#1字下げ]第四章 文化社会学の批判[#「第四章 文化社会学の批判」は中見出し]
[#3字下げ]一[#「一」は小見出し]
イデオロギー論は一種の文化理論であった。処が最近、ブルジョア社会学の世界に於ても亦文化理論――「文化社会学」――が勢力を有つようになって来たことを注意しよう。文化社会学[#「文化社会学」に傍点]なる
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