セが――前を見よ)、この方法の最も発達した或いは最後の穴にまで追いつめられた形態は、数学的方法[#「数学的方法」に傍点]なのである。そこで例えばブルジョア経済学の最後の穴にまで追い落された形態は、当然にも、所謂数理経済学[#「数理経済学」に傍点]の如きものとならねばならぬ。この経済学形態――之はオーストリー学派・所謂金利生活者の経済学と不離の関係にある――の要点は、客観的な財や主観的な欲望が数量的に測定出来たり、又之に数学的操作が加え得られたり、又方程式で之の諸関係が云い表わされる、と云ったような点よりも寧ろ、経済関係が経済的均衡[#「経済的均衡」に傍点]として把握されているという点にあるのである。社会諸関係の内から経験的乃至偶然的な――例えば戦争・革命・飢饉・震災の影響・等々の政治的意義をもつ――諸項を捨象し去って、「本質的」な可能性の上での経済的諸関係だけを取り出せば、それは恐らく経済的均衡の外にはないだろう。
 経済関係のマルクス主義的・唯物史観的・方法によれば、政治現象は経済的地盤によって終局的に決定されているわけであるから、政治現象は一定の限界に於て、その本質に従っては経済学的に予言され得る筈であった。即ち経済現象はそれだけ政治学的に予言出来るわけである、そうした政治学的予言を含むことが出来るというのが、マルクス主義経済学――弁証法的経済学――が実際に具体的現実に役に立ちつつある主な理由である。処が数理経済学の立場は、こうした弁証法というような非数学的・文学的・な方法の代りに、数学的に精密な[#「精密な」に傍点]併し数学的に抽象的な、従って夫だけでは経済現象の具体的運動の説明に就いては本質的に何の役にも立たない方法を、置き代えようとするのである。――この立場・方法によれば経済現象に於ける歴史的原理[#「歴史的原理」に傍点]は全く捨象し去られている。だから歴史的事実[#「歴史的事実」に傍点]は、今の処全く経験論的な統計的方法に立っている処の景気変動論[#「景気変動論」に傍点]というようなものに一任される外はない。そして而も、形式的な数理的[#「数理的」に傍点]方法と、経験的な統計的[#「統計的」に傍点]方法とが、一体どうやって結び付けるかは抑々問題であろう。
 数理経済学は、その方法から特色づければ、社会学的均衡理論――之は数理経済学と共にパレートが得意とし
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