泣Wョアジーとプロレタリアとの階級対立が、科学的理論の論理的[#「論理的」に傍点]・歴史的[#「歴史的」に傍点]・社会的[#「社会的」に傍点]な対立として、鮮かに反映しているものを吾々は見ない。すでに哲学に於ては、観念論と唯物論とが、夫に従って又形式論理的方法と(唯物)弁証法的とが、階級性の資格に於て対立したが、今はこれが社会科学という特殊科学に相応わしいように具体化・主体化される。
 社会科学――夫は元来マルクス主義に固有なものだと云っても好いが――を広く理解するなら、経済学・政治学・法律学・史学・社会学等々のマルクス主義的乃至ブルジョア的諸科学が夫に含まれるが、そこに問題となる最も一般的な範疇は例えば社会[#「社会」に傍点]の概念と国家[#「国家」に傍点]の概念とだろう。処でこうした諸根本概念が、観念論的に、又はそうではなくて唯物論的に、鮮かに対立した取り扱いを受けるのである。
 マルクス主義――プロレタリア・イデオロギー――によれば、社会や国家は夫々一つの歴史的範疇[#「歴史的範疇」に傍点]である。唯物史観――社会科学に於ける唯物論――によれば是非ともそうあらざるを得ない。処が殆んど凡ての又は多くのブルジョア「社会学」や「国家学」によれば、之等のものは超歴史的に理解されるべき概念となる、社会とは人間の社会生活の諸範型としての不動な社会諸関係[#「社会諸関係」に傍点]となり、国家とは人間の社会生活の永遠な本質形式となる。マルクス主義的社会科学に於ては之等の事物は、歴史的内容から出発して内容主義的[#「内容主義的」に傍点]――唯物論的――に取り扱われねばならぬに反して、ブルジョア社会科学によれば之等のものは全く形式主義的[#「形式主義的」に傍点]に取り扱われる、社会や国家は、恰も数学の対象でもあるかのように、形式的に定義[#「形式的に定義」に傍点]され得るかのようにさえ考えられるのである。
 この内容主義と形式主義との対立は併し、取りも直さず内容的論理[#「内容的論理」に傍点]による方法と形式的論理[#「形式的論理」に傍点]による方法との対立になる、と云うのは弁証法的方法と形式論理的方法との対立に外ならない、そのことはすでに前に見ておいた。――処が形式論理的方法が最も科学的威厳を有つように見える場合は数学に於てであると人々は想像するので(だが実はそうではなかったの
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