曹浮≠獅狽浮香jh[#「h」は斜体]の倍数を以てしか作用し得ないから。このダイメンションに相当する範囲に於て、本来測定は不精密であらざるを得ないのである。で交互作用をなす一対である二つの量p[#「p」は斜体]・q[#「q」は斜体]の同時測定の際に於ける夫々の精度乃至不精度[#横組み]Δp[#「p」は斜体]・Δq[#「q」は斜体][#横組み終わり]は、[#横組み]Δp[#「p」は斜体]・Δq[#「q」は斜体]〜h[#「h」は斜体][#横組み終わり](〜はダイメンションの同一を意味する)の関係によって与えられる。――之が不決定性の原理である。
 こうした不精密さは併し、因果律の適用をおのずからそれだけ不精密にする。自由電子の位置が充分に精密に測定され得てもその運動状態がそれだけ不精密にしか測定され得ないから、次の瞬間この電子の状態は精密には決定出来ない。処が一切の個々の事物が一切の個々の瞬間に就いて、完全に精密に決定されているということが、因果律の要請ではなかったか。ここにはだから偶然性[#「偶然性」に傍点]が支配する、電子の位置の如きは、一つの可能性[#「可能性」に傍点]・蓋然性[#「蓋然性」に傍点]にすぎない。電子の存在は、電子の存在の蓋然性に外ならない、とも云われている。
 この測定に於ける不精密さは併し、決して測定という主観的な研究方法[#「主観的な研究方法」に傍点]によって初めて引き起こされたものではない。量子論で云うように物理学的対象――存在――そのものが量子的であったが故に測定作用も亦量子的であらざるを得なかった迄である。問題は一対の物理学的量の客観的な交互作用の内に横たわる。だから不決定性の原理は人々が往々想像するだろうような認識主観の限界[#「認識主観の限界」に傍点]を意味するのではない。でここに出て来る偶然性は、認識主観から由来するのではなくて客観的な存在そのもの[#「存在そのもの」に傍点]にぞくしているのである、今この点を忘れてはならない。従って、存在そのものは因果的に決定されているが、偶々之を認識する場合に、認識主観がもつ制限の故に充分に因果律を適用出来ないのだ、という解釈は許されない。所謂因果律は物理学的対象それ自身に於てもはや行われないのだ、というのが不決定論者の本当の――最も徹底した――主張であるべきなのである。
 ハイゼンベルクやシュレー
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