、軛関係に立つのでなければ事実数学的認識は根本的には成り立たない。数学の基礎・背後にはいつも哲学があるのである。
 P・デュ・ボア・レモンは数学者を有限論者と無限論者との二陣営の哲学者に分類したが、有限無限の問題は、そして之と直接に結び付いて連続不連続の問題は、古来数学の根本概念=範疇そのものに関係した問題であった。ところが有限無限・連続不連続とは、外でもない存在[#「存在」に傍点]の[#「外でもない存在[#「存在」に傍点]の」は底本では「外でもない存[#「い存」に傍点]在の」]形式的規定そのものではないか。ここで取り上げられるものは云わば形式的な存在の理論――存在論[#「存在論」に傍点]――なのである。ここでは数学的範疇はもはや単に数学のものではなくて哲学のものとなる。
 古代に於ける無限主義・連続主義はアナクサゴラスによって、又有限主義・不連続主義はデモクリトスによって代表されたと云われるが、近世数学に於ける無限主義・連続主義はライプニツ又はニュートンの微分[#「微分」に傍点]の概念によって確立されたと云って好い。微分の概念が有つ哲学的意味を近代に至って普遍的に指摘したのはコーエン一派のマルブルク学派であった。之に反して同じく近代に於て、有限主義・不連続主義の立場に立ちながらこの無限や連続を捉えようとしたのは、デーデキントとG・カントルとによる要素[#「要素」に傍点](Element)の概念である。集合論はこの要素の概念から出発するのである。
 有限主義・不連続主義の系統は、B・ラッセルやクテュラの手を通って、ヒルベルトの公理主義[#「公理主義」に傍点]乃至数学的形式主義[#「数学的形式主義」に傍点]に到着し、無限主義・連続主義の系統はブローエルの直観主義[#「直観主義」に傍点]に到着する。元来無限乃至連続の問題は「集合論の二律背反」とか「無限者の逆説」とか呼ばれている困難を持っているのであり、そしてこれ等の二律背反乃至逆説は数学的[#「数学的」に傍点]「存在」の概念[#「の概念」に傍点]に連関して生じて来るものであったが、形式主義は有限不連続な固定的なこの数学的存在――要素・数其他――から、一切の論理的・概念表現的・意味内容を捨象して、この存在を単なる記号[#「記号」に傍点]にして了うことによって、今云った論理的[#「論理的」に傍点]困難を脱しようと企てる。之
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