セと云われるが、そのタレス以来、ソフィスト達が出て来るまでのギリシア的世界観は、実証的な従って実践的な根本特色を以て貫かれている。そこでは自然や根本物質が中心の問題であり(自然観)、ピュタゴラス学徒の数の思想からが実はこの自然や根本物質の根本問題に答えるための一つの自然観であった。タレス自身が秀でた技術的知識の所有者であったことは知られている。処でこうした実証的・実践的・な世界観によって生まれたこのソクラテス以前の自然哲学は、何よりも唯物論的存在論として組織立てられている。それを最もよく代表するのはデモクリトスの原子論であった。デモクリトス的唯物論――原子論――が今日の実証科学に於ける原子論――原子物理学や量子論――の原型に当るということは必ずしも偶然ではない。
 観想的世界観は最も好くプラトンの世界観に現われる。そして夫がプラトンの存在論を決定しているのである。彼――彼は当時のアテナイ貴族の最も卓越した代弁者である――によれば、観想こそは優れた生活の態度である、思索のための思索こそは人間の最高の天命なのである。だからこの世界観による世界像は諧調的な構造美を有つ宇宙[#「宇宙」に傍点]――秩序の完成――であり、彫塑的[#「彫塑的」に傍点]な完璧である。そこでは働くことが必要なのではなくて観る[#「観る」に傍点]ことが凡てでなければならない、存在は観想されねばならぬ。存在としての存在は見られてあるもの[#「見られてあるもの」に傍点]となる、之が元来彼のイデア[#「イデア」に傍点]――観念[#「観念」に傍点]――の意味であった。そしてここからその存在論であるイデア[#「イデア」に傍点]論が始まる、それが観念論[#「観念論」に傍点]の原型に外ならない。
 この二つの古典的な原型で見られるように、唯物論と云い観念論という存在論に、たとえありと凡ゆる種類と分派とがあるにしても、一切の哲学は終局に於て[#「終局に於て」に傍点]観念論か唯物論かに帰着せしめられることが出来るのである。
 処が、一般に存在論は存在に関する哲学体系であったが、哲学体系は範疇の体系[#「範疇の体系」に傍点]によって初めて組織立てられる。そして範疇の体系の形式を取り出して見るとそれが所謂論理学[#「論理学」に傍点]なのである。世界観は存在論を決定したが、今度は存在論が論理学を決定しなければならない。世界観
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