たくない。しかしながら大逆罪の企に万不同意であると同時に、その企の失敗を喜ぶと同時に、彼ら十二名も殺したくはなかった。生かしておきたかった。彼らは乱臣賊子の名をうけても、ただの賊ではない、志士である。ただの賊でも死刑はいけぬ。まして彼らは有為《ゆうい》の志士である。自由平等の新天新地を夢み、身を献《ささ》げて人類のために尽さんとする志士である。その行為はたとえ狂《きょう》に近いとも、その志は憐《あわれ》むべきではないか。彼らはもと社会主義者であった。富の分配の不平等に社会の欠陥を見て、生産機関の公有を主張した、社会主義が何が恐《こわ》い? 世界のどこにでもある。しかるに狭量神経質の政府は、ひどく気にさえ出して、ことに社会主義者が日露戦争に非戦論を唱うるとにわかに圧迫を強くし、足尾騒動から赤旗事件となって、官権と社会主義者はとうとう犬猿の間となってしまった。諸君、最上の帽子は頭にのっていることを忘るる様な帽子である。最上の政府は存在を忘れらるる様な政府である。帽子は上にいるつもりであまり頭を押つけてはいけぬ。我らの政府は重いか軽いか分らぬが、幸徳君らの頭にひどく重く感ぜられて、とうとう彼らは無政府主義者になってしもうた。無政府主義が何が恐い? それほど無政府主義が恐いなら、事のいまだ大ならぬ内に、下僚ではいけぬ、総理大臣なり内務大臣なり自ら幸徳と会見して、膝詰《ひざづめ》の懇談すればいいではないか。しかし当局者はそのような不識庵流《ふしきあんりゅう》をやるにはあまりに武田式家康式で、かつあまりに高慢である。得意の章魚《たこ》のように長い手足で、じいとからんで彼らをしめつける。彼らは今や堪えかねて鼠は虎に変じた。彼らの或者はもはや最後の手段に訴える外はないと覚悟して、幽霊のような企《くわだて》がふらふらと浮いて来た。短気はわるかった。ヤケがいけなかった。今一足の辛抱が足らなかった。しかし誰が彼らをヤケにならしめたか。法律の眼から何と見ても、天の眼からは彼らは乱臣でもない、賊子でもない、志士である。皇天その志を憐んで、彼らの企はいまだ熟せざるに失敗した。彼らが企の成功は、素志の蹉跌《さてつ》を意味したであろう。皇天皇室を憐み、また彼らを憐んで、その企を失敗せしめた。企は失敗して、彼らは擒《とら》えられ、さばかれ、十二名は政略のために死一等を減《げん》ぜられ、重立《おもだち》たる余の十二名は天の恩寵によって立派に絞台の露と消えた。十二名――諸君、今一人、土佐で亡くなった多分自殺した幸徳の母君あるを忘れてはならぬ。
 かくのごとくして彼らは死んだ。死は彼らの成功である。パラドックスのようであるが、人事の法則、負くるが勝である、死ぬるが生きるのである。彼らはたしかにその自信があった。死の宣告を受けて法廷を出る時、彼らの或者が「万歳! 万歳!」と叫んだのは、その証拠である。彼らはかくして笑《えみ》を含んで死んだ。悪僧といわるる内山愚童の死顔《しにがお》は平和であった。かくして十二名の無政府主義者は死んだ。数えがたき無政府主義者の種子《たね》は蒔《ま》かれた。彼らは立派に犠牲の死を遂げた。しかしながら犠牲を造れるものは実に禍《わざわい》なるかな。
 諸君、我々の脈管には自然に勤王の血が流れている。僕は天皇陛下が大好きである。天皇陛下は剛健質実、実に日本男児の標本たる御方である。「とこしへに民安かれと祈るなる吾代《わがよ》を守れ伊勢の大神《おおかみ》」。その誠《まこと》は天に逼《せま》るというべきもの。「取る棹《さお》の心長くも漕《こ》ぎ寄せん蘆間小舟《あしまのおぶね》さはりありとも」。国家の元首として、堅実の向上心は、三十一文字に看取される。「浅緑り澄みわたりたる大空の広きをおのが心ともがな」。実に立派な御心《おんこころ》がけである。諸君、我らはこの天皇陛下を有《も》っていながら、たとえ親殺しの非望を企てた鬼子《きし》にもせよ、何故《なにゆえ》にその十二名だけ宥《ゆる》されて、余《よ》の十二名を殺してしまわなければならなかったか。陛下に仁慈の御心がなかったか。御愛憎があったか。断じて然《そう》ではない――たしかに輔弼《ほひつ》の責《せめ》である。もし陛下の御身近く忠義|※[#「魚+更」、第3水準1−94−42]骨《こうこつ》の臣があって、陛下の赤子《せきし》に差異はない、なにとぞ二十四名の者ども、罪の浅きも深きも一同に御宥し下されて、反省改悟の機会を御与え下されかしと、身を以て懇願する者があったならば、陛下も御頷《おんうなず》きになって、我らは十二名の革命家の墓を建てずに済《す》んだであろう。もしかような時にせめて山岡鉄舟がいたならば――鉄舟は忠勇無双の男、陛下が御若い時英気にまかせやたらに臣下を投げ飛ばしたり遊ばすのを憂《うれ》えて、ある時
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