のごとく駈足《かけあし》で来た日本も、いつの間にか足もとを見て歩くようになり、内観するようになり、回顧もするようになり、内治のきまりも一先《ひとま》ずついて、二度の戦争に領土は広がる、新日本の統一ここに一段落を劃した観がある。維新前後志士の苦心もいささか酬いられたといわなければならぬ。しからば新日本史はここに完結を告げたか。これから守成の歴史に移るのか。局面回復の要はないか。最早志士の必要はないか。飛んでもないことである。五十歳前、徳川三百年の封建社会をただ一|簸《あお》りに推流《おしなが》して日本を打って一丸とした世界の大潮流は、倦《う》まず息《やす》まず澎湃《ほうはい》として流れている。それは人類が一にならんとする傾向である。四海同胞の理想を実現せんとする人類の心である。今日の世界はある意味において五六十年前の徳川の日本である。どの国もどの国も陸海軍を拡げ、税関の隔てあり、兄弟どころか敵味方、右で握手して左でポケットの短銃《ピストル》を握る時代である。窮屈と思い馬鹿らしいと思ったら実に片時もたまらぬ時ではないか。しかしながら人類の大理想は一切の障壁を推倒《おしたお》して一にならなければ止《や》まぬ。一にせん、一にならんともがく。国と国との間もそれである。人種と人種の間もその通りである。階級と階級の間もそれである。性と性の間もそれである。宗教と宗教――数え立つれば際限がない。部分は部分において一になり、全体は全体において一とならんとする大渦小渦|鳴戸《なると》のそれも啻《ただ》ならぬ波瀾の最中《さなか》に我らは立っているのである。この大回転大|軋轢《あつれき》は無際限であろうか。あたかも明治の初年日本の人々が皆感激の高調に上って、解脱又解脱、狂気のごとく自己を擲《なげう》ったごとく、我々の世界もいつか王者その冠を投出し、富豪その金庫を投出し、戦士その剣を投出し、智愚強弱一切の差別を忘れて、青天白日の下に抱擁《ほうよう》握手《あくしゅ》抃舞《べんぶ》する刹那《せつな》は来ぬであろうか。あるいは夢であろう。夢でも宜《よ》い。人間夢を見ずに生きていられるものでない。――その時節は必ず来る。無論それが終局ではない、人類のあらん限り新局面は開けてやまぬものである。しかしながら一刹那でも人類の歴史がこの詩的高調、このエクスタシーの刹那に達するを得《え》ば、長い長い旅の辛苦も償われて余《あまり》あるではないか。その時節は必ず来る、着々として来つつある。我らの衷心《ちゅうしん》が然《しか》囁くのだ。しかしながらその愉快は必ずや我らが汗もて血もて涙をもて贖《あがな》わねばならぬ。収穫は短く、準備は長い。ゾラの小説にある、無政府主義者が鉱山のシャフトの排水樋《はいすいひ》を夜|窃《ひそか》に鋸でゴシゴシ切っておく、水がドンドン坑内に溢《あふ》れ入って、立坑といわず横坑といわず廃坑といわず知らぬ間に水が廻って、廻り切ったと思うと、俄然《がぜん》鉱山の敷地が陥落をはじめて、建物も人も恐ろしい勢《いきおい》を以《もっ》て瞬《またた》く間に総崩れに陥《お》ち込んでしまった、ということが書いてある。旧組織が崩れ出したら案外|速《すみやか》にばたばたいってしまうものだ。地下に水が廻る時日が長い。人知れず働く犠牲の数が入る。犠牲、実に多くの犠牲を要する。日露の握手を来《きた》すために幾万の血が流れたか。彼らは犠牲である。しかしながら犠牲の種類も一ではない。自ら進んで自己を進歩の祭壇に提供する犠牲もある。――新式の吉田松陰らは出て来るに違いない。僕はかく思いつつ常に世田ヶ谷を過ぎていた。思っていたが、実に思いがけなく今明治四十四年の劈頭《へきとう》において、我々は早くもここに十二名の謀叛人を殺すこととなった。ただ一週間前の事である。
 諸君、僕は幸徳君らと多少立場を異にする者である。僕は臆病で、血を流すのが嫌いである。幸徳君らに尽《ことごと》く真剣に大逆《たいぎゃく》を行《や》る意志があったか、なかったか、僕は知らぬ。彼らの一人大石誠之助君がいったというごとく、今度のことは嘘から出た真《まこと》で、はずみにのせられ、足もとを見る暇《いとま》もなく陥穽《おとしあな》に落ちたのか、どうか、僕は知らぬ。舌は縛られる、筆は折られる、手も足も出ぬ苦しまぎれに死物狂《しにものぐるい》になって、天皇陛下と無理心中を企《くわだ》てたのか、否か。僕は知らぬ。冷静なる法の目から見て、死刑になった十二名ことごとく死刑の価値があったか、なかったか。僕は知らぬ。「一無辜《いちむこ》を殺して天下を取るも為さず」で、その原因事情はいずれにもせよ、大審院の判決通り真に大逆の企《くわだて》があったとすれば、僕ははなはだ残念に思うものである。暴力は感心ができぬ。自ら犠牲となるとも、他を犠牲にはし
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