イヤというほど陛下を投げつけ手剛《てごわ》い意見を申上げたこともあった。もし木戸松菊がいたらば――明治の初年木戸は陛下の御前、三条、岩倉以下|卿相《けいしょう》列座の中で、面を正して陛下に向い、今後の日本は従来の日本と同じからず、すでに外国には君王を廃して共和政治を布《し》きたる国も候、よくよく御注意遊ばさるべくと凜然《りんぜん》として言上《ごんじょう》し、陛下も悚然《しょうぜん》として御容《おんかたち》をあらため、列座の卿相皆色を失ったということである。せめて元田宮中顧問官でも生きていたらばと思う。元田は真に陛下を敬愛し、君を堯《ぎょう》舜《しゅん》に致すを畢生《ひっせい》の精神としていた。せめて伊藤さんでも生きていたら。――否《いな》、もし皇太子殿下が皇后陛下の御実子であったなら、陛下は御考《おかんがえ》があったかも知れぬ。皇后陛下は実に聡明恐れ入った御方である。「浅しとてせけばあふるゝ川水《かわみず》の心や民の心なるらむ」。陛下の御歌は実に為政者の金誡である。「浅しとてせけばあふるゝ」せけばあふるる、実にその通りである。もし当局者が無暗《むやみ》に堰《せ》かなかったならば、数年前の日比谷焼打事件はなかったであろう。もし政府が神経質で依怙地《えこじ》になって社会主義者を堰かなかったならば、今度の事件も無かったであろう。しかしながら不幸にして皇后陛下は沼津に御出になり、物の役に立つべき面々は皆他界の人になって、廟堂にずらり頭を駢《なら》べている連中には唯一人の帝王の師たる者もなく、誰一人面を冒して進言する忠臣もなく、あたら君徳を輔佐して陛下を堯舜に致すべき千載一遇《せんざいいちぐう》の大切なる機会を見す見す看過し、国家百年の大計からいえば眼前十二名の無政府主義者を殺して将来永く無数の無政府主義者を生むべき種を播いてしもうた。忠義立《ちゅうぎだて》として謀叛人十二名を殺した閣臣こそ真に不忠不義の臣で、不臣の罪で殺された十二名はかえって死を以て我皇室に前途を警告し奉った真忠臣となってしもうた。忠君忠義――忠義顔する者は夥《おびただ》しいが、進退伺《しんたいうかがい》を出して恐懼《きょうく》恐懼《きょうく》と米つきばったの真似をする者はあるが、御歌所に干渉して朝鮮人に愛想をふりまく悧口者はあるが、どこに陛下の人格を敬愛してますます徳に進ませ玉うように希《こいねが》う真の忠臣があるか。どこに不忠の嫌疑を冒《おか》しても陛下を諫《いさ》め奉り陛下をして敵を愛し不孝の者を宥《ゆる》し玉う仁君となし奉らねば已《や》まぬ忠臣があるか。諸君、忠臣は孝子の門に出ずで、忠孝もと一途である。孔子は孝について何といったか。色難《いろかたし》。有事弟子服其労《ことあればていしそのろうにふくし》、有酒食先生饌《しゅしあればせんせいにせんす》、曾以是為孝乎《すなわちこれをもってこうとなさんや》。行儀の好いのが孝ではない。また曰《い》うた、今之孝者是謂能養《いまのこうはこれよくやしのうをいう》、至犬馬皆能有養《けんばにいたるまでみなよくやしのうあり》、不敬何以別乎《けいせざればなにをもってかわかたん》。体ばかり大事にするが孝ではない。孝の字を忠に代えて見るがいい。玉体ばかり大切する者が真の忠臣であろうか。もし玉体大事が第一の忠臣なら、侍医と大膳職と皇宮警手とが大忠臣でなくてはならぬ。今度の事のごときこそ真忠臣が禍《わざわい》を転じて福となすべき千金の機会である。列国も見ている。日本にも無政府党が出て来た。恐ろしい企をした、西洋では皆打殺す、日本では寛仁大度《かんじんたいど》の皇帝陛下がことごとく罪を宥《ゆる》して反省の機会を与えられた――といえば、いささか面目が立つではないか。皇室を民の心腹に打込むのも、かような機会はまたと得られぬ。しかるに彼ら閣臣の輩《やから》は事前《じぜん》にその企を萌《きざ》すに由《よし》なからしむるほどの遠見と憂国の誠もなく、事後に局面を急転せしむる機智親切もなく、いわば自身で仕立てた不孝の子二十四名を荒れ出すが最後得たりや応と引括《ひっくく》って、二進《にっちん》の一十《いんじゅう》、二進の一十、二進の一十で綺麗に二等分して――もし二十五人であったら十二人半|宛《ずつ》にしたかも知れぬ、――二等分して、格別物にもなりそうもない足の方だけ死一等を減じて牢屋に追込み、手硬《てごわ》い頭だけ絞殺して地下に追いやり、あっぱれ恩威|並《ならび》行われて候と陛下を小楯《こだて》に五千万の見物に向って気どった見得《みえ》は、何という醜態であるか。啻《ただ》に政府ばかりでない、議会をはじめ誰も彼も皆大逆の名に恐れをして一人として聖明のために弊事《へいじ》を除かんとする者もない。出家僧侶、宗教家などには、一人位は逆徒の命乞《いのちごい》する者があっ
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