て宜いではないか。しかるに管下の末寺から逆徒が出たといっては、大狼狽《だいろうばい》で破門したり僧籍を剥いだり、恐れ入り奉るとは上書しても、御慈悲と一句書いたものがないとは、何という情ないことか。幸徳らの死に関しては、我々五千万人|斉《ひと》しくその責《せめ》を負わねばならぬ。しかしもっとも責むべきは当局者である。総じて幸徳らに対する政府の遣口《やりくち》は、最初から蛇の蛙を狙う様で、随分陰険冷酷を極めたものである。網を張っておいて、鳥を追立て、引《ひっ》かかるが最期網をしめる、陥穽《おとしあな》を掘っておいて、その方にじりじり追いやって、落ちるとすぐ蓋《ふた》をする。彼らは国家のためにするつもりかも知れぬが、天の眼からは正しく謀殺――謀殺だ。それに公開の裁判でもすることか、風紀を名として何もかも暗中《あんちゅう》にやってのけて――諸君、議会における花井弁護士の言を記臆せよ、大逆事件の審判中当路の大臣は一人もただの一度も傍聴に来なかったのである――死の判決で国民を嚇《おど》して、十二名の恩赦でちょっと機嫌を取って、余の十二名はほとんど不意打の死刑――否《いな》、死刑ではない、暗殺――暗殺である。せめて死骸になったら一滴の涙位は持っても宜《よ》いではないか。それにあの執念な追窮しざまはどうだ。死骸の引取り、会葬者の数にも干渉する。秘密、秘密、何もかも一切秘密に押込めて、死体の解剖すら大学ではさせぬ。できることならさぞ十二人の霊魂も殺してしまいたかったであろう。否《いな》、幸徳らの躰を殺して無政府主義を殺し得たつもりでいる。彼ら当局者は無神無霊魂の信者で、無神無霊魂を標榜《ひょうぼう》した幸徳らこそ真の永生《えいせい》の信者である。しかし当局者も全《まった》く無霊魂を信じきれぬと見える、彼らも幽霊が恐いと見える、死後の干渉を見ればわかる。恐いはずである。幸徳らは死ぬるどころか活溌溌地に生きている。現に武蔵野の片隅に寝ていたかくいう僕を曳きずって来て、ここに永生不滅の証拠を見せている。死んだ者も恐ければ、生きた者も恐い。死減一等の連中を地方監獄に送る途中警護の仰山《ぎょうさん》さ、始終短銃を囚徒の頭に差つけるなぞ、――その恐がりようもあまりひどいではないか。幸徳らはさぞ笑っているであろう。何十万の陸軍、何万トンの海軍、幾万の警察力を擁する堂々たる明治政府を以てして、数うるほどもない、しかも手も足も出ぬ者どもに対する怖《おび》えようもはなはだしいではないか。人間弱味がなければ滅多《めった》に恐がるものでない。幸徳ら瞑《めい》すべし。政府が君らを締め殺したその前後の遽《あわ》てざまに、政府の、否《いな》、君らがいわゆる権力階級の鼎《かなえ》の軽重は分明に暴露されてしもうた。
 こんな事になるのも、国政の要路に当る者に博大なる理想もなく、信念もなく人情に立つことを知らず、人格を敬することを知らず、謙虚忠言を聞く度量もなく、月日とともに進む向上の心もなく、傲慢にしてはなはだしく時勢に後れたるの致すところである。諸君、我らは決して不公平ではならぬ。当局者の苦心はもとより察せねばならぬ。地位は人を縛り、歳月は人を老いしむるものである。廟堂の諸君も昔は若かった、書生であった、今は老成人である。残念ながら御《お》ふるい。切棄《きりす》てても思想は※[#「白+激のつくり」、第3水準1−88−68]々《きょうきょう》たり。白日の下に駒を駛《は》せて、政治は馬上提灯の覚束《おぼつか》ないあかりにほくほく瘠馬《やせうま》を歩ませて行くというのが古来の通則である。廟堂の諸君は頭の禿げた政治家である。いわゆる責任ある地位に立って、慎重なる態度を以て国政を執《と》る方々である。当路に立てば処士横議《しょしおうぎ》はたしかに厄介なものであろう。仕事をするには邪魔も払いたくなるはず。統一統一と目ざす鼻先に、謀叛の禁物は知れたことである。老人の※[#「匈/月」、53−8]《むね》には、花火線香も爆烈弾の響《ひびき》がするかも知れぬ。天下泰平は無論結構である。共同一致は美徳である。斉一統一《せいいつとういつ》は美観である。小学校の運動会に小さな手足の揃《そろ》うすら心地好いものである。「一方に靡《なび》きそろひて花すゝき、風吹く時そ乱れざりける」で、事ある時などに国民の足並の綺麗に揃うのは、まことに余所目《よそめ》立派なものであろう。しかしながら当局者はよく記臆せなければならぬ、強制的の一致は自由を殺す、自由を殺すはすなわち生命を殺すのである。今度の事件でも彼らは始終皇室のため国家のためと思ったであろう。しかしながらその結果は皇室に禍《わざわい》し、無政府主義者を殺し得ずしてかえって夥《おびただ》しい騒擾の種子を蒔いた。諸君は謀叛人を容《い》るるの度量と、青書生に聴くの
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