る都合となりたるより、久々《ひさびさ》ぶりに帰京して、たえて久しきわが家《や》の門を入りぬ。
 想《おも》えば去年の六月、席をけって母に辞したりしよりすでに一年を過ぎぬ。幾たびか死生のきわを通り来て、むかしの不快は薄らぐともなく痕《あと》を滅し、佐世保病院の雨の日、威海衛港外風氷る夜《よ》は想いのわが家《や》に向かって飛びしこと幾たびぞ。
 一年ぶりに帰りて見れば、家の内《うち》何の変わりたることもなく、わが車の音に出《い》で迎えつる婢《おんな》の顔の新しくかわれるのみ。母は例のごとく肥え太りて、リュウマチス起これりとて、一日床にあり。田崎は例のごとく日々《にちにち》来たりては、六畳の一間に控え、例のごとく事務をとりてまた例刻に帰り行く。型に入れたるごとき日々の事、見るもの、聞くもの、さながらに去年のままなり。武男は望みを得て望みを失える心地《ここち》しつ。一年ぶりに母にあいて、絶えて久しきわが家の風呂《ふろ》に入りて、うずたかき蒲団《ふとん》に安坐《あんざ》して、好める饌《ぜん》に向かいて、さて釣り床ならぬ黒ビロードの括《くく》り枕《まくら》に疲れし頭《かしら》を横たえて、しかも夢は結ばれず、枕べ近き時計の一二時をうつまでも、目はいよいよさえて、心の奥に一種鋭き苦痛《くるしみ》を覚えしなり。
 一年の月日は母子の破綻《はたん》を繕いぬ。少なくも繕えるがごとく見えぬ。母もさすがに喜びてその独子《ひとりご》を迎えたり。武男も母に会うて一の重荷をばおろしぬ。されど二人《ふたり》が間は、顔見合わせしその時より、全く隔てなきあたわざるを武男も母も覚えしなり。浪子の事をば、彼も問わず、これも語らざりき。彼の問わざるは問うことを欲せざるがためにあらずして、これの語らざるは彼の聞かんことを欲するを知らざるがためにはあらざりき。ただかれこれともにこの危険の問題をば務めて避けたるを、たがいにそれと知りては、さしむかいて話途絶ゆるごとにおのずから座の安からざるを覚えしなり。
 佐世保病院の贈り物、旅順のかの出来事、それはなくとももとより忘るる時はなきに、今昔ともに棲《す》みし家に帰り来て見れば、見る物ごとにその面影《おもかげ》の忍ばれて、武男は怪しく心地《ここち》乱れぬ。彼女《かれ》は今いずこにおるやらん。わが帰り来しと知らでやあらん。思いは千里も近しとすれど、縁絶えては一里と距《はな》れぬ片岡家、さながら日よりも遠く、彼女《かれ》が伯母の家は呼べば応《こた》うる近くにありながら、何の顔ありて行きてその消息を問うべきぞ。想《おも》えば去年の五月艦隊の演習におもむく時、逗子に立ち寄りて別れを告げしが一生の別離《わかれ》とは知らざりき。かの時別荘の門に送り出《い》でて「早く帰ってちょうだい」と呼びし声は今も耳底《みみ》に残れど、今はたれに向かいて「今帰った」というべきぞ。
 かく思いつづけし武男は、一日《あるひ》横須賀におもむきしついでに逗子に下りて、かの別墅《べっしょ》の方に迷い行けば、表の門は閉じたり。さては帰京せしかと思いわびつつ、裏口より入り見れば、老爺《じじい》一人《ひとり》庭の草をむしり居《い》つ。

    七の二

 武男が入り来る足音に、老爺《じじい》はおもむろに振りかえりて、それと見るよりいささか驚きたる体《てい》にて、鉢巻《はちまき》をとり、小腰を屈《かが》めながら
 「これはおいでなせえまし。旦那様アいつお帰《けえ》りでごぜエましたんで?」
 「二三日前に帰った。老爺《おまえ》も相変わらず達者でいいな」
 「どういたしまして、はあ、ねッからいけませんで、はあお世話様になりますでごぜエますよ」
 「何かい、老爺《おまえ》はもうよっぽど長く留守をしとるのか?」
 「いいや、何でごぜエますよ、その、先月《あとげつ》までは奥様――ウンニャお嬢――ごご御病人様とばあやさんがおいでなさったんで、それからまア老爺《わたくし》がお留守をいたしておるでごぜエますよ」
 「それでは先月《あとげつ》帰京《かえ》ったンだね――では東京《あっち》にいるのだな」
 と武男はひとりごちぬ。
 「はい、さよさまで。殿様が清国《あっち》からお帰《けえ》りなさるその前《めえ》に、東京にお帰《けえ》りなさったでごぜエますよ。はア、それから殿様とごいっしょに京都《かみがた》に行かっしゃりました御様子で、まだ帰京《けえ》らっしゃりますめえと、はや思うでごぜエますよ」
 「京都《かみがた》に?――では病気がいいのだな」
 武男は再びひとりごちぬ。
 「で、いつ行ったのだね?」
 「四五日《しごんち》前――」と言いかけしが、老爺《じじい》はふと今の関係を思い出《い》でて、言い過ぎはせざりしかと思い貌《がお》にたちまち口をつぐみぬ。それと感ぜし武男は思わず顔をあからめたり。
 ふたり相対《あいむか》いてしばし黙然《もくねん》としていたりしが、老爺《じじい》はさすがに気の毒と思い返ししように、
 「ちょいと戸を明けますべえ。旦那様、お茶でも上がってまあお休みなさッておいでなせエましよ」
 「何、かまわずに置いてもらおう。ちょっと通りかかりに寄ったんだ」
 言いすてて武男はかつて来なれし屋敷|内《うち》を回り見れば、さすがに守《も》る人あれば荒れざれど、戸はことごとくしめて、手水鉢《ちょうずばち》に水絶え、庭の青葉は茂りに茂りて、ところどころに梅子《うめのみ》こぼれ、青々としたる芝生《しばふ》に咲き残れる薔薇《ばら》の花半ばは落ちて、ほのかなる香《かおり》は庭に満ちたり。いずくにも人の気《け》はなくて、屋後《おくご》の松に蝉《せみ》の音《ね》のみぞかしましき。
 武男は※[#「※」は「つつみがまえ」+「夕」、第3水準1−14−76、205−14]々《そうそう》に老爺《じじい》に別れて、頭《かしら》をたれつつ出《い》で去りぬ。
 五六日を経て、武男はまた家を辞して遠く南征の途に上ることとなりぬ。家に帰りて十余日、他の同僚は凱旋《がいせん》の歓迎のとおもしろく騒ぎて過ごせるに引きかえて、武男はおもしろからぬ日を送れり。遠く離れてはさすがになつかしかりし家も、帰りて見れば思いのほかにおもしろき事もなくて、武男はついにその心の欠陥《あき》を満たすべきものを得ざりしなり。
 母もそれと知りて、苦々しく思えるようすはおのずから言葉の端にあらわれぬ。武男も母のそれと知れるをば知り得て、さしむかいて語るごとに、ものありて間を隔つるように覚えつ。されば母子の間はもとのごとき破裂こそなけれ、武男は一年後の今のかえってもとよりも母に遠ざかれるを憾《うら》みて、なお遠ざかるをいかんともするあたわざりき。母子《ぼし》は冷然として別れぬ。
 横須賀より乗るべかりしを、出発に垂《なんな》んとして障《さわり》ありて一|日《じつ》の期をあやまりたれば、武男は呉《くれ》より乗ることに定め、六月の十日というに孤影|蕭然《しょうぜん》として東海道列車に乗りぬ。

    八の一

 宇治《うじ》の黄檗山《おうばくざん》を今しも出《い》で来たりたる三人《みたり》連れ。五十余りと見ゆる肥満の紳士は、洋装して、金頭《きんがしら》のステッキを持ち、二十《はたち》ばかりの淑女は黒綾《くろあや》の洋傘《パラソル》をかざし、そのあとより五十あまりの婢《おんな》らしきが信玄袋をさげて従いたり。
 三人《みたり》の出《い》で来たるとともに、門前に待ち居し三|輛《りょう》の車がらがらと引き来るを、老紳士は洋傘《パラソル》の淑女を顧みて
 「いい天気じゃ。すこし歩いて見てはどうか」
 「歩きましょう」
 「お疲れは遊ばしませんか」と婢《おんな》は口を添えつ。
 「いいよ、少しは歩いた方が」
 「じゃ疲れたら乗るとして、まあぶらぶら歩いて見るもいいじゃろう」
 三輛の車をあとに従えつつ、三人はおもむろに歩み初めぬ。いうまでもなく、こは片岡中将の一行なり。昨日《きのう》奈良《なら》より宇治に宿りて、平等院を見、扇の芝の昔を弔《とむら》い、今日《きょう》は山科《やましな》の停車場より大津《おおつ》の方《かた》へ行かんとするなり。
 片岡中将は去《さんぬ》る五月に遼東より凱旋しつ。一日浪子の主治医を招きて書斎に密談せしが、その翌々日より、浪子を伴ない、婢《ひ》の幾を従えて、飄然《ひょうぜん》として京都に来つ。閑静なる河《かわ》ぞいの宿をえらみて、ここを根拠地と定めつつ、軍服を脱ぎすてて平服に身を包み、人を避け、公会の招きを辞して、ただ日々《にちにち》浪子を連れては彼女《かれ》が意のむかうままに、博覧会を初め名所|古刹《こさつ》を遊覧し、西陣に織り物を求め、清水《きよみず》に土産《みやげ》を買い、優遊の限りを尽くして、ここに十余日を過ぎぬ。世間《よ》はしばし中将の行くえを失いて、浪子ひとりその父を占めけるなり。
 「黄檗《おうばく》を出れば日本の茶摘みかな」茶摘みの盛季《さかり》はとく過ぎたれど、風は時々|焙炉《ほうろ》の香を送りて、ここそこに二番茶を摘む女の影も見ゆなり。茶の間々《あいあい》は麦黄いろく熟《う》れて、さくさくと鎌《かま》の音聞こゆ。目を上ぐれば和州の山遠く夏がすみに薄れ、宇治川は麦の穂末を渡る白帆《しらほ》にあらわれつ。かなたに屋根のみ見ゆる村里より午鶏の声ゆるく野づらを渡り来て、打ち仰ぐ空には薄紫に焦がれし雲ふわふわと漂いたり。浪子は吐息つきぬ。
 たちまち左手《ゆんで》の畑|路《みち》より、夫婦と見ゆる百姓二人話しもて出《い》で来たりぬ。午餉《ひるげ》を終えて今しも圃《はた》に出《い》で行くなるべし。男は鎌を腰にして、女は白手ぬぐいをかむり、歯を染め、土瓶《どびん》の大いなるを手にさげたり。出会いざまに、立ちどまりて、しばし一行の様子を見し女は、行き過ぎたる男のあと小走りに追いかけて、何かささやきつ。二人ともに振りかえりて、女は美しく染めたる歯を見せてほほえみしが、また相語りつつ花|茨《いばら》こぼるる畦路《あぜみち》に入り行きたり。
 浪子の目はそのあとを追いぬ。竹の子|笠《がさ》と白手ぬぐいは、次第に黄ばめる麦に沈みて、やがてかげも見えずなりしと思えば、たちまち畑《はた》のかなたより
 「郎《ぬし》は正宗《まさむね》、わしア錆《さ》び刀、郎《ぬし》は切れても、わしア切れエ――ぬ」
 歌う声哀々として野づらに散りぬ。
 浪子はさしうつむきつ。
 ふりかえり見し父中将は
 「くたびれたじゃろう。どれ――」
 言いつつ浪子の手をとりぬ。

    八の二

 中将は浪子の手をひきつつ
 「年のたつは早いもンじゃ。浪、卿《おまえ》はおぼえておるかい、卿《おまえ》がちっちゃかったころ、よくおとうさんに負ぶさって、ぽんぽんおとうさんが横腹をけったりしおったが。そうじゃ、卿《おまえ》が五つ六つのころじゃったの」
 「おほほほほ、さようでございましたよ。殿様が負《おん》ぶ遊ばしますと、少嬢様《ちいおじょうさま》がよくおむずかり遊ばしたンでございますね。――ただ今もどんなにおうらやましがっていらッしゃるかもわかりませんでございますよ」と気軽に幾が相槌《あいづち》うちぬ。
 浪子はたださびしげにほほえみつ。
 「駒《こま》か。駒にはおわびにどっさり土産《みやげ》でも持って[#底本では「持つて」と誤植]行くじゃ。なあ、浪。駒よか千鶴さんがうらやましがっとるじゃろう、一度こっちに来たがっておったのじゃから」
 「さようでございますよ。加藤《あちら》のお嬢様がおいで遊ばしたら、どんなにおにぎやかでございましょう。――本当に私《わたくし》なぞがまあこんな珍しい見物さしていただきまして――あの何でございますか、さっき渡りましたあの川が宇治川で、あの螢《ほたる》の名所で、ではあの駒沢《こまざわ》が深雪《みゆき》にあいました所でございますね」
 「はははは、幾はなかなか学者じゃの。――いや世の中の移り変わりはひどいもンじゃ。おとうさんなぞが若かった時分は、大阪《おおさか》から京へ上るというと、いつもあの三十石で、鮓《すし》のごと詰められた
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