》になってくだすったのですよ。その先達に初歩《ふみはじめ》を教《おそ》わってこの道に入りましてから、今年でもう十六年になりますが、杖《つえ》とも思うは実にこの書《ほん》で、一日もそばを放さないのでございますよ。霊魂不死という事を信じてからは、死を限りと思った世の中が広くなりまして、天の父を知ってからは親を失ってまた大きな親を得たようで、愛の働きを聞いてからは子を失《な》くしてまたおおぜいの子を持った心地《こころもち》で、望みという事を教えられてから、辛抱をするにも楽しみがつきましてね――
私がこの書《ほん》を読むようになりましたしまつはまあざッとこんなでございますよ」
かく言い来たりて、老婦人は熱心に浪子の顔打ちまもり、
「実は、御様子はうすうす承っていましたし、ああして時々浜でお目にかかるのですから、ぜひ伺いたいと思う事もたびたびあったのですが、――それがこうふとお心やすくいたすようになりますと、またすぐお別れ申すのは、まことに残念でございますよ。しかしこう申してはいかがでございますが、私にはどうしても浅日《ちょっと》のお面識《なじみ》の方とは思えませんよ。どうぞ御身《おみ》を大事に遊ばして、必ず気をながくお持ち遊ばして、ね、決して短気をお出しなさらぬように――御気分のいい時分《とき》はこの書《ほん》をごらん遊ばして――私は東京《あちら》に帰りましても、朝夕こちらの事を思っておりますよ」
*
老婦人はその翌日東京に去りぬ。されどその贈れる一書は常に浪子の身近に置かれつ。
世にはかかる不幸を経てもなお人を慰むる誠《まこと》を余せる人ありと思えば、母ならず伯母ならずしてなおこの茫々《ぼうぼう》たる世にわれを思いくくる人ありと思えば、浪子はいささか慰めらるる心地《ここち》して、聞きつる履歴を時々思い出《い》でては、心こめたる贈り物の一書をひもとけるなり。
六の一
第二軍は十一月二十二日をもって旅順を攻め落としつ。
「お母《かあ》さま、お母さま」
新聞を持ちたるままあわただしく千鶴子はその母を呼びたり。
「何ですね。もっと静かに言《もの》をお言いなさいな」
水色の眼鏡《めがね》にちょっとにらまれて、さっと面《おもて》に紅潮《くれない》を散らしながら、千鶴子はほほと笑いしが、またまじめになりて、
「お母さま、死にましたよ、あれが――あの千々岩《ちぢわ》が!」
「エ、千々岩! あの千々岩が! どうして? 戦死《うちじに》かい?」
「戦死《せんし》将校のなかに名が出ているわ。――いい気味!」
「またそんなはしたないことを。――そうかい。あの千々岩が戦死《うちじに》したのかい! でもよく戦死《うちじに》したねエ、千鶴さん」
「いい気味! あんな人は生きていたッて、邪魔になるばかりだわ」
加藤子爵夫人はしばし黙然として沈吟しぬ。
「死んでもだれ一人泣いてくれる者もないくらいでは、生きがいのないものだね、千鶴さん」
「でも川島のおばあさんが泣きましょうよ。――川島てば、お母さま、お豊《とよ》さんがとうと逃げ出したんですッて」
「そうかい?」
「昨日《きのう》ね、また何か始めてね、もうもうこんな家《うち》にはいないッて、泣き泣き帰っちまいましたんですッて。ほほほほほほようすが見たかったわ」
「だれが行ってもあの家《うち》では納まるまいよ、ねエ千鶴さん」
母子《おやこ》相見て言葉途絶えぬ。
*
千々岩は死せるなり。千鶴子|母子《おやこ》が右の問答をなしつるより二十日《はつか》ばかり立ちて、一片の遺骨と一通の書と寂しき川島家に届きたり。骨《こつ》は千々岩の骨、書は武男の書なりき。その数節を摘みてん。
(([#この二重括弧は一文字、以下同様に使用、第3水準1−2−54、197−16]前文略))[#この二重括弧は一文字、以下同様に使用、第3水準1−2−55、197−16]
[#以下1字下げ]
旅順陥落の翌々日、船渠《せんきょ》船舶等艦隊の手に引き取ることと相成り、将校以下数名上陸いたし、私儀も上陸|仕《つかまつ》り候《そろ》。激戦後の事とて、惨状は筆紙に尽くし難く((中略))仮設野戦病院の前を過ぎ候ところ、ふと担架にて人を運び居候を見受け申し候。青|毛布《ケット》をおおい、顔には白木綿《しろもめん》のきれをかけて有之《これあり》、そのきれの下より見え候口もと顋《あご》のあたりいかにも見覚えあるようにて、尋ね申し候えば、これは千々岩中尉と申し候。その時の喫驚《きっきょう》御察しくださるべく候。((中略))おおいをとり申し候えば、色|蒼《あお》ざめ、きびしく歯をくいしばり居申し候。創《きず》は下腹部に一か所、その他二か所、いずれも椅子山《いすざん》砲台攻撃の際受け候弾創にて、今朝まで知覚|有之《これあり》候ところ、ついに絶息いたし候由。((中略))なお同人の同僚につきいろいろ承り候ところ、彼は軍中の悪《にく》まれ者ながら戦争のみぎりは随分相働き、すでに金州攻撃の際も、部下の兵士と南門の先登をいたし候由にて、今回もなかなか働き候との事に御座候。もっとも平生《へいぜい》は往々士官の身にあるまじき所行も内々|有之《これあり》、陣中ながら身分不相応の金子《きんす》を貯《たくわ》え居申し候。すでに一度は貔子窩《ひしか》において、軍司令官閣下の厳令あるにかかわらず、何か徴発いたし候とて土民に対し惨刻千万の仕打ち有之《これあり》すでにその処分も有之《これある》べきところ((中略))とにかく戦死は彼がためにもっけの幸いに有之べく候。
母上様御承知の通り、彼は重々|不埒《ふらち》のかども有之、彼がためには実に迷惑もいたし、私儀もすでに断然絶交いたしおり候事に有之候えども、死骸《しがい》に対しては恨みも御座なく、昔兄弟のように育ち候事など思い候えば、不覚の落涙も仕り候事に御座候。よって許可《ゆるし》を受け、火葬いたし、骨を御送《おんおく》り申し上げ候。しかるべく御葬り置きくだされたく願い奉り候。
[#1字下げここまで]
((下略))
武男が旅順にて遭遇しつる事はこれに止《とど》まらず、わざと書中に漏らしし一の出来事ありき。
六の二
武男が書中に漏れたる事実は、左のごとくなりき。
千々岩の死骸《しがい》に会えるその日、武男はひとり遅れて埠頭《はとば》の方《かた》に帰り居たり。日暮れぬ。
舎営の門口《かど》のきらめく歩哨《ほしょう》の銃剣、将校|馬蹄《ばてい》の響き、下士をしかりいる士官、あきれ顔にたたずむ清人《しんじん》、縦横に行き違う軍属、それらの間を縫うて行けば、軍夫五六人、焚火《たきび》にあたりつ。
「めっぽう寒いじゃねエか。故国《うち》にいりや、葱鮪《ねぎま》で一|杯《ぺえ》てえとこだ。吉《きち》、てめえアまたいい物引っかけていやがるじゃねえか」
吉といわれし軍夫は、分捕《ぶんど》りなるべし、紫|緞子《どんす》の美々しき胴衣《どうぎ》を着たり。
「源公《げんこう》を見ねえ。狐裘《かわ》の四百両もするてえやつを着てやがるぜ」
「源か。やつくれえばかに運の強《つえ》えやつアねえぜ。博《ぶつ》ちゃア勝つ、遊んで褒美《ほうび》はもれえやがる、鉄砲玉ア中《あた》りッこなし。運のいいたやつのこっだ。おいらなんざ大連《だいれん》湾でもって、から負けちゃって、この袷《あわせ》一貫よ。畜生《ちきしょう》め、分捕りでもやつけねえじゃ、ほんとにやり切れねえや」
「分捕りもいいが、きをつけねえ。さっきもおれアうっかり踏ん込《ご》むと、殺しに来たと思いやがったンだね、いきなり桶《おけ》の後ろから抜剣《ぬきみ》の清兵《やつ》が飛び出しやがって、おいらアもうちっとで娑婆《しゃば》にお別れよ。ちょうど兵隊さんが来て清兵《やつ》めすぐくたばっちまやがったが。おいらア肝つぶしちゃったぜ」
「ばかな清兵《やつ》じゃねえか。まだ殺され足りねえてンだな」
旅順落ちていまだ幾日もあらざれば、げに清兵《しんぺい》の人家に隠れて捜し出《いだ》されて抵抗せしため殺さるるも少なからざりけるなり。
聞くともなき話耳に入りて武男はいささか不快の念を動かしつつ、次第に埠頭《はとば》の方《かた》に近づきたり。このあたり人け少なく、燈火《ともしび》まばらにして、一方に建てつらねたる造兵|廠《しょう》の影黒く地に敷き、一方には街燈の立ちたるが、薄月夜ほどの光を地に落とし、やせたる狗《いぬ》ありて、地をかぎて行けり。
武男はこの建物の影に沿うて歩みつつ、目はたちまち二十間を隔てて先に歩み行く二つの人影に注ぎたり。後影《かげ》は確かにわが陸軍の将校士官のうちなるべし。一人は濶大《かつだい》に一人は細小なるが、打ち連れて物語などして行くさまなり。武男はその一人をどこか見覚えあるように思いぬ。
たちまち武男はわれとかの両人《ふたり》の間にさらに人ありて建物の影を忍び行くを認めつ。胸は不思議におどりぬ。家の影さしたれば、明らかには見えざれど、影のなかなる影は、一歩進みて止《とど》まり、二歩行きてうかがい、まさしく二人のあとを追うて次第に近づきおるなり。たまたま家と家との間《なか》絶えて、流れ込む街燈の光に武男はその清人《しんじん》なるを認めつ。同時にものありて彼が手中にひらめくを認めたり。胸打ち騒ぎ、武男はひそかに足を早めてそのあとを慕いぬ。
最先《さき》に歩めるかの二人が今しも街《まち》の端にいたれる時、闇中《あんちゅう》を歩めるかの黒影は猛然と暗を離れて、二人を追いぬ。驚きたる武男がつづいて走り出《いだ》せる時、清人はすでに六七間の距離に迫りて、右手《めて》は上がり、短銃響き、細長なる一人はどうと倒れぬ。驚きて振りかえる他の一人を今一発、短銃の弾機をひかんとせる時、まっしぐらに馳《は》せつきたる武男は拳《こぶし》をあげて折れよと彼が右腕《うで》をたたきつ。短銃落ちぬ。驚き怒りてつかみかかれる彼を、武男は打ち倒さんと相撲《すま》う。かの濶大《かつだい》なる一人も走《は》せ来たりて武男に力を添えんとする時、短銃の音に驚かされしわが兵士ばらばらと走《は》せきたり、武男が手にあまるかの清人を直ちに蹴《け》倒して引っくくりぬ。瞬間の争いに汗になりたる武男が混雑の間より出《い》でける時、倒れし一人をたすけ起こせるかの濶大なる一人はこなたに向かい来たりぬ。
この時街燈の光はまさしく片岡中将の面《おもて》をば照らし出《いだ》しつ。
武男は思わず叫びぬ。
「やッ、閣下《あなた》は!」
「おッきみは!」
片岡中将はその副官といずくかへ行ける帰途《かえり》を、殊勝にも清人《しんじん》のねらえるなりき。
副官の疵《きず》は重かりしが、中将は微傷だも負わざりき。武男は図らずして乃舅《だいきゅう》を救えるなり。
*
この事いずれよりか伝わりて、浪子に達せし時、幾は限りなくよろこびて、
「ごらん遊ばせ。どうしても御縁が尽きぬのでございますよ。精出して御養生遊ばせ。ねエ、精出して養生いたしましょうねエ」
浪子はさびしく打ちほほえみぬ。
七の一
戦争のうちに、年は暮れ、かつ明けて、明治二十八年となりぬ。
一月より二月にかけて威海衛落ち、北洋艦隊|亡《ほろ》び、三月末には南の方《かた》澎湖《ぼうこ》列島すでにわが有に帰し、北の方《かた》にはわが大軍|潮《うしお》のごとく進みて、遼河《りょうが》以東に隻騎の敵を見ず。ついで講和使来たり、四月中旬には平和条約締結の報あまねく伝わり、三国干渉のうわさについで、遼東還付の事あり。同五月末大元帥陛下|凱旋《がいせん》したまいて、戦争はさながら大鵬《たいほう》の翼を収むるごとく※[#「※」は「條の左+灸」、第4水準2−1−57、202−6]然《しゅくぜん》としてやみぬ。
旅順に千々岩の骨を収め、片岡中将の危厄を救いし後、武男は威海衛の攻撃に従い、また遠く南の方《かた》澎湖島占領の事に従いしが、六月初旬その乗艦のひとまず横須賀に凱旋す
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