いぬ。彼女《かれ》は浪子より二歳《ふたつ》長《た》けて一年早く大名華族のうちにも才子の聞こえある洋行帰りの某伯爵に嫁《とつ》ぎしが、舅姑《しゅうと》の気には入りて、良人にきらわれ、子供一人もうけながら、良人は内《うち》に妾《しょう》を置き外に花柳の遊びに浸り今年の春離縁となりしが、ついこのごろ病死したりと聞く。彼女《かれ》は良人にすてられて死し、われは相思う良人と裂かれて泣く。さまざまの世と思えば、彼も悲しく、これもつらく、浪子はいよいよ黝《くろ》うなり来る海の面《おもて》をながめて太息《といき》をつきぬ。
思うほど、気はますます乱れて、浪子は身を容《い》るる余裕《ひま》もなきまで世のせまきを覚ゆるなり。身は何不足なき家に生まれながら、なつかしき母には八歳《やつ》の年に別れ、肩をすぼめて継母の下《もと》に十年《ととせ》を送り、ようやく良縁定まりて父の安堵《あんど》われもうれしと思う間もなく、姑《しゅうと》の気には入らずとも良人のためには水火もいとわざる身の、思いがけなき大疾を得て、その病も少しは痊《おこた》らんとするを喜べるほどもなく、死ねといわるるはなお慈悲の宣告を受け、愛し愛さるる良人はありながら容赦もなく間を裂かれて、夫と呼び妻と呼ばるることもならぬ身となり果てつ。もしそれほど不運なるべき身ならば、なにゆえ世には生まれ来しぞ。何ゆえ母上とともに、われも死なざりしぞ。何ゆえに良人のもとには嫁しつるぞ。何ゆえにこの病を発せしその時、良人の手に抱《いだ》かれては死せざりしぞ。何ゆえに、せめてかの恐ろしき宣告を聞けるその時、その場に倒れては死なざりしぞ。身には不治の病をいだきて、心は添われぬ人を恋う。何のためにか世に永《なが》らうべき。よしこの病|癒《い》ゆとも、添われずば思いに死なん――死なん。
死なん。何の楽しみありて世に永らうべき。
はふり落つる涙をぬぐいもあえず、浪子は海の面《おもて》を打ちながめぬ。
伊豆大島《いずおおしま》の方《かた》に当たりて、墨色に渦まける雲急にむらむらと立つよと見る時、いうべからざる悲壮の音ははるかの天空より落とし来たり、大海の面《おもて》たちまち皺《しわ》みぬ。一陣の風吹き出《い》でけるなり。その風|鬢《びん》をかすめて過ぎつと思うほどなくまっ黒き海の中央《まなか》に一団の雪わくと見る見る奔馬のごとく寄せて、浪子が坐《ざ》したる岩も砕けよとうちつけつ。渺々《びょうびょう》たる相洋は一|分時《ぷんじ》ならずして千波|万波《ばんぱ》鼎《かなえ》のごとく沸きぬ。
雨と散るしぶきを避けんともせず、浪子は一心に水の面《おも》をながめ入りぬ。かの水の下には死あり。死はあるいは自由なるべし。この病をいだいて世に苦しまんより、魂魄《こんぱく》となりて良人に添うはまさらずや。良人は今黄海にあり。よしはるかなりとも、この水も黄海に通えるなり。さらば身はこの海の泡《あわ》と消えて、魂《たま》は良人のそばに行かん。
武男が書をばしっかとふところに収め、風に乱るる鬢《びん》かき上げて、浪子は立ち上がりぬ。
風は※[#「※」は「風」+「犬」を3つ、第4水準2−92−41、183−11]々《ひょうひょう》として無辺の天より落とし来たり、かろうじて浪子は立ちぬ。目を上ぐれば、雲は雲と相追うて空を奔《はし》り、海は目の届く限り一面に波と泡とまっ白に煮えかえりつ。湾を隔つる桜山は悲鳴してたてがみのごとく松を振るう。風|吼《ほ》え、海|哮《たけ》り、山も鳴りて、浩々《こうこう》の音天地に満ちぬ。
今なり、今なり、今こそこの玉の緒は絶ゆる時なれ。導きたまえ、母。許したまえ、父。十九年の夢は、今こそ――。
襟《えり》引き合わせ、履物《はきもの》をぬぎすてつつ、浪子は今打ち寄せし浪の岩に砕けて白泡《しらあわ》沸《たぎ》るあたりを目がけて、身をおどらす。
その時、あと背後《うしろ》に叫ぶ声して、浪子はたちまち抱き止められつ。
五の一
「ばあや。お茶を入れるようにしてお置き。もうあの方がいらっしゃる時分ですよ」
かく言いつつ浪子はおもむろに幾を顧みたり。幾はそこらを片づけながら
「ほんとにあの方はいい方《かた》でございますねエ。あれでも耶蘇《やそ》でいらッしゃいますッてねエ」
「ああそうだッてね」
「でもあんな方が切支丹《きりしたん》でいらッしゃろうとは思いませんでしたよ。それにあんなに髪を切ッていらッしゃるのですら」
「なぜかい?」
「でもね、あなた、耶蘇の方では御亭主が亡《な》くなッても髪なんぞ切りませんで、なおのことおめかしをしましてね、すぐとまたお嫁入りの口をさがしますとさ」
「ほほほほ、ばあやはだれからそんな事を聞いたのかい?」
「イイエ、ほんとでございますよ。一体あの宗旨では、若い娘《もの》までがそれは生意気でございましてね、ほんとでございますよ。幾が親類《みうち》の隣家《となり》に一人《ひとり》そんな娘《こ》がございましてね、もとはあなたおとなしい娘《こ》で、それがあの宗旨の学校にあがるようになりますとね、あなた、すっかりようすが変わっちまいましてね、日曜日になりますとね、あなた、母親《おや》が今日《きょう》は忙《せわ》しいからちっと手伝いでもしなさいと言いましてもね、平気でそのお寺にいっちまいましてね、それから学校はきれいだけれども家《うち》はきたなくていけないの、母《おっか》さんは頑固《がんこ》だの、すぐ口をとがらしましてね、それに学校に上がっていましても、あなた、受取証が一枚書けませんでね、裁縫《しごと》をさせますと、日が一日|襦袢《じゅばん》の袖《そで》をひねくっていましてね、お惣菜《そうざい》の大根をゆでなさいと申しますと、あなた、大根を俎板《まないた》に載せまして、庖丁《ほうちょう》を持ったきりぼんやりしておるのでございますよ。両親《おや》もこんな事ならあんな学校に入れるんじゃなかったと悔やんでいましてね。それにあなた、その娘《こ》はわたしはあの二百五十円より下の月給の良人《ひと》には嫁《い》かない、なんぞ申しましてね。ほんとにあなた、あきれかえるじゃございませんか。もとはやさしい娘《こ》でしたのに、どうしてあんなになったンでございましょうねエ。これが切支丹の魔法でございましょうね」
「ほほほほ。そんなでも困るのね。でも、何だッて、いい所もあれば、わるいところもあるから、よく知らないではいわれないよ。ねエばあや」
心得ずといわんがごとく小首傾けし幾は、熱心に浪子を仰ぎつつ
「でもあなた、耶蘇《やそ》だけはおよし遊ばせ」
浪子はほほえみつ。
「あの方とお話ししてはいけないというのかい」
「耶蘇《やそ》がみんなあんな方だとようございますがねエ、あなた。でも――」
幾は口をつぐみぬ。うわさをすれば影ありありと西側の障子に映り来たれるなり。
「お庭口から御免ください」
細く和らかなる女の声響きて、忙《いそが》わしく幾がたちてあけし障子の外には、五十あまりの婦人の小作りなるがたたずみたり。年よりも老《ふ》けて、多き白髪《しらが》を短くきり下げ、黒地の被布《ひふ》を着つ。やせたる上にやつれて見ゆれば、打ち見にはやや陰気に思わるれど、目に温《あたた》かなる光ありて、細き口もとにおのずからなる微笑あり。
幾があたかもうわさしたるはこの人なり。未《いま》だし。一週間以前の不動|祠畔《しはん》の水屑《みくず》となるべかりし浪子をおりよくも抱き留めたるはこの人なりけり。
ラッパを吹き鼓を鳴らして名を売ることをせざれば、知らざる者は名をだに聞かざれど、知れる者はその包むとすれどおのずから身にあふるる光を浴びて、ながくその人を忘るるあたわずというなり。姓は小川《おがわ》名は清子《きよこ》と呼ばれて、目黒《めぐろ》のあたりにおおぜいの孤児女と棲《す》み、一大家族の母として路傍に遺棄せらるる幾多の霊魂を拾いてははぐくみ育つるを楽しみとしつ。肋膜炎《ろくまくえん》に悩みし病余の体《たい》を養うとて、昨月の末より此地《ここ》に来たれるなるが、かの日、あたかも不動祠にありて図らず浪子を抱《いだ》き止め、その主人を尋ねあぐみて狼狽《ろうばい》して来たれる幾に浪子を渡せしより、おのずから往来の道は開けしなり。
五の二
茶を持《も》て来て今|罷《まか》らんとしつる幾はやや驚きて
「まあ、明日《あす》お帰京《かえり》遊ばすんで。へエエ。せっかくおなじみになりかけましたのに」
老婦人もその和らかなる眼光《まなざし》に浪子を包みつつ
「私《わたくし》もも少し逗留《とうりゅう》して、お話もいたしましょうし、ごあんばいのいいのを見て帰りたいのでございますが――」
言いつつ懐中《ふところ》より小形の本を取り出《いだ》し、
「これは聖書ですがね。まだごらんになったことはございますまい」
浪子はいまださる書《もの》を読まざるなり。彼女《かれ》が継母は、その英国に留学しつる間は、信徒として知られけるが、帰朝の日その信仰とその聖書をば挙《あ》げてその古靴及び反故《ほご》とともにロンドンの仮寓《やどり》にのこし来たれるなり。
「はい、まだ拝見いたした事はございませんが」
幾はなお立ち去りかねて、老婦人が手中の書を、目を円《つぶら》にしてうちまもりぬ。手品の種はかのうちに、と思えるなるべし。
「これからその何でございますよ、御気分のよろしい時分に、読んでごらんになりましたら、きっとおためになることがあろうと思いますよ。私《わたくし》も今少し逗留《とうりゅう》していますと、いろいろお話もいたすのですが――今日はお告別《わかれ》に私がこの書を読むようになりましたその来歴《しまつ》をね、お話し[#底本のママ、「お話」ではなく「お話し」]したいと思いますが。あなたお疲れはなさいませんか。何なら御遠慮なくおやすみなすッて」
しみじみと耳|傾《かたぶ》けし浪子は顔を上げつ。
「いいえ、ちょっとも疲れはいたしません。どうかお話し遊ばして」
茶を入れかえて、幾は次に立ちぬ。
小春日の午後は夜《よ》よりも静かなり。海の音遠く、障子に映る松の影も動かず。ただはるかに小鳥の音の清きを聞く。東側のガラス障子を透かして、秋の空高く澄み、錦《にしき》に染まれる桜山は午後の日に燃えんとす。老婦人はおもむろに茶をすすりて、うつむきて被布の膝《ひざ》をかいなで、仰いで浪子の顔うちまもりつつ、静かに口を開き始めぬ。
「人の一生は長いようで短く、短いようで長いものですよ。
私の父は旗本で、まあ歴々のうちでした。とうに人の有《もの》になってしまったのですが、ご存じでいらッしゃいましょう、小石川《こいしかわ》の水道橋を渡って、少しまいりますと、大きな榎《えのき》が茂っている所がありますが、私はあの屋敷に生まれましたのです。十二の年に母は果てます、父はひどく力を落としまして後妻《あと》もとらなかったのですから、子供ながら私がいろいろ家事をやってましたね。それから弟に嫁をとって、私はやはり旗下《はたもと》の、格式は少し上でしたが小川の家《うち》にまいったのが、二十一の年、あなた方はまだなかなかお生まれでもなかったころでございますよ。
私も女大学で育てられて、辛抱なら人に負けぬつもりでしたが、実際にその場に当たって見ますと、本当に身にしみてつらいことも随分多いのでしてね。時勢《とき》が時勢《とき》で、良人《おっと》は滅多に宅《うち》にいませず、舅姑《しゅうと》に良人の姉妹《きょうだい》が二人《ふたり》=これはあとで縁づきましたが=ありまして、まあ主人を五人もったわけでして、それは人の知らぬ心配もいたしたのですよ。舅《しゅうと》はそうもなかったのですが、姑《しゅうとめ》がよほど事《つか》えにくい人でして、実は私の前に、嫁に来た婦人《ひと》があったのですが、半歳《はんとし》足らずの間に、逃げて帰ったということで、亡くなッた人をこう申すのははしたないようですが、気あらな、押し強い、弁も達者で、ま
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